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沈黙 -SILENCE-

お休みが多くもらえる時期なので、いつもは手が出せないようなものに触れている。

そのうちのひとつが 宗教について知るということ。

無宗教かつどのコンテンツにもいわゆる"推し"がいないので、私はあまり何かを信じたり崇めたりということがない。
だから神様の存在とか、神のように"推し"を扱うことが、すこしばかり見ていて怖くもあった。

小学生の頃に中東の戦争や9.11のテロを見て、「宗教があるから争いがあるんじゃないか」と率直に思ったこともある。
自分の命より大切なものがある人たちのことを、そのときは理解できなかった。
いまは当時より少しだけわかるようになったかもしれない。

『沈黙 -SILENCE-』という映画を観た。江戸時代に日本へ布教しにきたクリスチャンが、迫害と棄教の間で揺れる様を描いている。

面白いとか、感動するとかではなかった。ただ胸の前で組んだ手を離しがたい映画だった。

隠れて信仰を続ける長崎の村人に、渡航してきた神父が迎えられた夜。粗末な食べ物を振る舞われた神父がこう問うたシーンがあった。

「皆さんは食べないのですか」
村人は答えた。
「あなた方が、私たちの糧なのです」

これが信仰心なんだ、と思った。
宗教画が踏めないのも、死者を目にして十字を切るのも、神の教えを棄てず死を選ぶのも、強くはない人間が強くあろうとする過程なんだと思った。

それが正しいかはわからない。
わからないなりに、命より大切なものがあった人たちの、物語を観ることができた。
わからなくても、そこに物凄く偉大で神々しいものがある、と伝えてくれるのが映画の力だ。

そして、わからないものに対する拒否反応も思い知った。
すでに仏教がある日本に、異教を広めるのは傲慢ではないかという奉行、
それに真っ向から対立する神父。
どちらも最後の最後までは、自分が折れることをよしとしなかった。それはあまり美徳ではないかなと個人的に思う。
結局は数の多い方が有利になってしまう。

いいとか、悪いがわからなくなる、
感想もうまく出てきやしない、
そういうものをたくさん糧に、わからなさも丸ごと味わう体力を落とさずにいたい。
それをいつか取り出して眺めて、咀嚼し直す知力を得たい。

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