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1/6 : 来るべき憂鬱が来たら

世間が正月を忘れかけている。いい傾向だ。

私自身は、あれーそういえば新年でしたっけ、ああ忘れてましたよろしくですね、くらいの舐めた年明けを送ってはいたけど。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
ときちんと言おうとしているまじめでかわいい人が、挨拶のタイミングを逃して焦っている姿を見なくて済むようになるのは、とてもいい。

比較的暗澹とした前回の話で、天性の根暗であることは隠しようもなくなったのだけど、それでも毎日つらいかというと案外そうでもないし、今年の目標は去年に負けず劣らず幸せになることだし、座右の銘は「不幸になってる暇なんてない」だ。
かなしみもさみしさも幸せのスパイス程度で十分だ、と本気で思う。私は私を幸せにすることで忙しい。

とはいえそれは「ダウナーな気持ちをひねりつぶす」とイコールではない。
むしろ停滞があることを前提に生活を組み立てたほうが調子よくいられる。

だから来るべき憂鬱が来たら、

肉とチョコレートを惜しみなく食べる
ダンスをする べつに踊れなくてもいい
歩く速度で読める文章をさがす
詩を音読する
畳の上で膝をかかえる
それでもだめなら、何時までも寝る

などという感じでやっていきたい。
べつに守れなくてもいい。

ただ、
虐待や貧困や障害や暴行や無視やその他トラウマがなくても、家族や友人に恵まれていても、職があり家があり何不自由なく暮らしていても、ときどき死に近い方へ引っ張られる人はいて、
それは遺伝子レベルでどうしようもなかったとして、
それでも地味にハッピーを両立させることができる、
ということを実践もとい実験していきたい。

大げさにまとめるとそういうことです。

1月6日、今日もたくさん仕事をした。失敗もした。やり残したこともあるけど、やり遂げられたこともある。
普段話さない人とも話した。笑ってくれたので安心した。
昨日つくったシチューが意外といける味だった。
明日は何して過ごそうかな。

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