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私の教祖

ある朝まだき「教えの真実を詳らかにせよ」との天啓を受け(た気がして)、お道の過去の文献や古老からの聞き書きや学術論文、あるいは逸話や口伝などを片っ端から読みあさってきたわけですが、現時点で思うのは「何がホンマかよー分からんなあ」ということです。
まず資料の信憑性についての判断がとても難しい。特に著者が教外の方である場合には天理教に対する好悪の感情からバイアスがかかっていることもあるので注意が必要です。
そしてなによりも頭を悩ませるのが『稿本天理教教祖伝』と『逸話篇』はもとより、「三原典」ですら危ういということなのです。「それを言っちゃーおしめぇよ」

それを言っちゃあおしめぇよ

という声が聞こえてきますが、たとえば『おふでさき』は中山家に残されたものが正冊として用いられ、その他の家に保存されている「外冊」は原典として採用されていません。つまり正冊に収録されているもの以外のお歌もあるわけです。更に外冊以外にもお歌は存在するのです。
『みかぐらうた』は原本が見つかっていませんが、二代真柱が「原本を見たことがある」と断言したことで原典として裁定されています。流石は原典の裁定者。鶴の一声ですね。
『おさしづ』は口述筆記ですので、刻限のさしづなど、前触れもなく矢継ぎ早に繰り出されたお言葉を正確に聞き取れたのか。また漏れなく書き留めることができたのか。などの疑念を持ってしまうのです。
まさか捏造があるとは思いたくありませんが、意図的に削除されたり隠蔽されたものなど一切無いと誰が言い切れるでしょう。
『稿本天理教教祖伝』にいたってはストーリーと登場人物の描き方があまりにも美し過ぎて、粉飾・・・・・以下自粛。
まあこんなことを言っていたら今後何も書けなくなってしまうので、これくらいにします。Beのしょーもない愚痴だとお聞き捨てください。
そんなことはどーでもいいんです。
今回は教団を「沈みゆく泥船」などと揶揄したり、教団幹部の言葉に「はあ?」と言ったりしている私が、何故今も信仰を続けているのか、その理由について考えてみました。

天保九年以来、教祖は世界の人々の心を救済するため「天皇はもとよりすべての人間は親神の子として平等であり兄弟である」という真実を、国家による迫害干渉に屈することなく説き続けてくださいました。
時はまさに幕末から明治に移る歴史の転換期でもありました。明治政府は日本という国家を形作る上で士農工商の身分による階級制度を廃し、廃藩置県をなし、教育制度を整えるなどして、日本国民という一括りの枠にすべての人を押し込める必要がありました。

帝国議会

列強に比肩していくためには、国家の体を整え、強固にすることが急務だったのです。
明治維新が成っても、幕藩体制下で抑圧されてきた人々には国という概念が希薄でした。長きにわたって被支配階級であった記憶がDNAに蓄積されていたのかも知れませんね。
そこで政府がめざしたものは「天皇を中心に政府が直接全国を治める中央集権国家」の建設でした。その中で政策的につくりだした事実上の国教制度が国家神道です。
こうした時代の真っ只中で「親神のもとに天皇も平民も皆同じ子供であり兄弟である」などと説き続ければ迫害干渉を受けることは当然の帰結でした。
でもそんなことは教祖もご承知の上のことだったと思うのです。その間、教祖は78歳から89歳まで約11年にわたり17回から18回も拘引され、留置収監されています。
身体への厳しい暴力もありました。それでも教祖はひるむことなく説き続けられたのです。最後は事実上の拷問死を遂げられたと言っても過言ではありませんでした。
天保9年以来教祖は神そのものであったと考える人からは非難されるでしょうが、私は教祖は身も心も人間であったと思っております。

想像を絶する努力を重ね、神の思し召しに近づこうとした生身の人間であったと。
殴られ蹴られすれば痛みに叫び声をお上げになったでしょうし、両手の親指を縄で縛られて梁から吊されたため、晩年には指が変形しておられました。それでも教祖は説き続ることを止めなかったのです。世界を救済するため、親神様のもとでは性別や身分や出自にかかわらず皆が平等であることを。
二代真柱によって体系化された教義、教理がどうであれ、たった一人で国家に立ち向かい、人間の平等を命の限り叫び続けた人間としての教祖に私は惹かれ続けているのです。教祖が自由自在の神そのものであったなら、私は教祖とその歩まれた道に感動を覚えることは無く、惹きつけられることも無かったでしょう。恐らく私が信仰をやめない理由の一つがそこにあると感じています。
草分けの頃、おびや許しや病たすけによって道は拡がり、教祖の元に救いを求める人が引きも切らず訪れるようになりましたが、そこで教祖が語られたことは元の親の話と人類想像にかかわる根本の話し、そして人類が平等であることについてでした。
つまり教祖の教えの核心は「個人の救済」ではなく「世界の救済」であると私は考えており、「個人の救済」は世界たすけの過程で生じる一つの形であると捉えています。
たとえば、おさづけも

長ながの道中、路金なくては通られようまい。路金として肥授けよう。

(『稿本天理教教祖伝』第三章)

と、個人救済である布教道中の路銀に喩えられているようにも読み取れますが、「世界の救済」という大きな目標に向かう歩みの中で発生する「個人救済」に対する路銀という意味だと思うのです。
また、おさづけは病む人を救うためだけでのものではなく、むしろ道を歩む途中で心を倒してしまわないようにと、ようぼく自身の心の杖として与えてくださったものを「路銀」と表現されたのではないかと考えています。
さて、教祖が平等を説かれたことを鑑みつつ現在の教団に目を向けてみると、一列兄弟と言いながらそこには厳然たる階級社会が存在します。そんなことは誰もが分かっていることですが。

天理教社会学研究所WEBサイトより

教団の上層部は血統と名前によって世襲している人がほとんどです。
民意なき「選良」とでも言うべき彼等は見識や人柄などに関係なくそれなりのポジションに付き、「御本部の先生」と呼ばれます。
中には高い見識を持ち、人格も優れた方もいらしゃいますが、乱暴な言い方をするとクソ野郎でもド阿呆でもおおむね何らかの立場を獲得します。そんな教団を、親神様のもとでは性別や身分や出自にかかわらず皆が平等であると、命がけで説き続けた教祖が喜んでいるはずはない。私の教祖は激オコです。

刻限(前おさしづに基づき中山會長へ御願い致しました處、會長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話傳えました。)
さあよく/\聞き分けるなら、一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る處、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう處より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。

明治24年1月28日 夜八時半

中山家の続くまで救けるというは、親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。...親族といえどもどうもならん。

明治 24 年1月 28 日

と、親族を特別扱いすることについて「おさしづ」で苦言を呈されていますが、現実には選ばれし民として頂点に君臨しています。
しかし彼ら選良たちが行ってきたことは、たとえば

「今に、ここら辺り一面に、家が建て詰むのやで。奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に。屋敷の中は、八町四方と成るのやで」

『稿本天理教教祖伝逸話篇』八町四方

というお言葉を根拠として始まった「おやさとやかた構想」であり、八丁四方の内にある「三島神社の移転」であり、「宮池の埋め立て」なのです。
教祖は八丁四方をコンクリートと朱色を多用したグロテスクなやかたで囲むことなど望んでいたはずもない。八丁四方の境界など目に見える必要はありません。

おやさとやかた構想

教祖も参詣し、また三島町に歴とした氏子も存在する三島神社を移転させたことに正義はありません。

三島神社

またお道の歴史的遺構ともいえる宮池(鏡池)を埋め立てる必要がどこにあったというのか。

夜の宮池

一体、私たちの教団は何をしているのでしょう。
古くは戦争協力もしました。教祖の前で「断腸の思いで」などという言い訳は通りません。
教祖百年祭での度重なる教会長の自殺と不祥事。そのほとんどが多額の御供に起因するものです。上からの督促と下の者の苦境の狭間て耐えきれなくなった者が起こした、階級制度が産んだ悲劇です。
そして当時教内でバズったレーザービーム問題。人にはやっていい事といけない事があるのです。

御成婚 慶びのつどい

これはヒエラルキーの頂点に立つ者の思い上がりと勘違い、そして信者さんたちの思いへの想像力の欠如が生んだ、あまりにも愚かなイベントでした。
また、教会にも階級制度が厳然と存在し、いまだに理の親などという誤った教えがまかり通っています。会長を理の親として神の如く敬い、そして会長は神の如く振る舞う、まったく別の宗教かと見まがうような教会もあります。そこでは青少年の進学、就職はもとより、結婚すら会長の意に添わねばなりません。
教祖が教会制度をお許しにならなかったのは、本部をはじめ一部の教会のこうした姿を予見されていたからなのでしょう。
ただ今の新型コロナ感染症の蔓延というふしが神様からの急き込みというなら、まず本部こそが自らを振り返り自浄するべきだと私は思います。
やはりお道が蘇るためには教会制度の解消しかないのでしょうか。
それが神の望みであるなら、教団が消滅するのも致し方ないことでしょう。
しかし「天皇も平民も皆同じ神の子供であり、性別や身分や出自などに関係無く平等なのだ」と叫び続け、たった一人で国家に挑んだ偉大な女性を教祖に戴く教えが、このまま自滅してゆくのを眺めているだけでは、あまりにも無念です。
今こそ教祖の真の教えを護りたいと願う野に潜む正統的信仰者が、勇気を持って声を上げることが必要です。



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