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音楽とことば〜根を同じくするもの

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音楽についてのnoteを集めます。ことばについてのnoteも集めます。どちらも、人間の鳴き声、歌声であるという点で、本質的に同じなので、分離するのが不可能です。
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記事一覧

Hvor sødt i sommeraftenstunden【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

 YouTubeで、新しい再生リストを公開しました。 ニールセン (C.Nielsen) 作曲 Hvor sødt i sommeraftenstunden (CNW215 /1916年) A. Oehlenschläger 作詞 “Aften - Sang”   なんと甘美な、夏の夕暮れ時は  以前の記事で紹介した、Nu lyser løv i lunde は、「夏至にむかって白く強くのぼりつめていく夏」の歌で、夏至が過ぎて梅雨が明けるとぴたっと歌う気がわかなくなる梅雨

Nu lyser løv i lunde 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

YouTubeで、新しい再生リストを公開しました。 ニールセン (C.Nielsen) 作曲 Nu lyser løv i lunde (CN256W /1921年) Johannes Jørgensen 作詞   いま、木立の葉は光る    毎年、桜がすんで、山がブロッコリーになる体勢にはいった頃から徐々に歌いたくなる歌です。  シイやカシの花でむせかえる5月の連休あたりから、7月の梅雨明けあたりまで、原付に乗ったら、たいがいこの歌を口ずさみながら緑の山沿いの裏道を爆

今年、うぐいすの初鳴きがみょうに早かっただけでなく、聞いたことないくらい下手くそで、毎朝はらはらしています。また、昼過ぎに初めての谷渡りを聞いたのですが、「けっ、きょっ、けっ、きょっ、けっ……」と空前絶後のたどたどしさに絶句。無事に上達できるか、マジで不安です。がんばってくれ……

邦楽と雪と北海道と

 すばらしく勘の良い方や前のものを読まれた方ならもしかしたらお気づきかもしれませんが、私は北海道に住んでいる者です。これを書いている時にnoteに登録している名前も、北海道の地酒「國稀」からとっています。  北海道に住んでいるとなんとなく聞くラジオの局もほとんど北海道のものとなり、そのラジオから流れてくる曲も自然北海道出身もしくは北海道を拠点に活動している方々のものが多くなります。そうすると、ラジオ経由で新しくミュージシャンを知るとなると北海道出身者が多くなるのです。ラジオ

竹藪の雨

 みなさん、おはようございます。  朝起きたら、今冬の暖冬がうそみたいに見事に雪が積もっていました。もう、数年ぶりの見事な積雪です。  で、日が出て、外でなにか雨音がしているので出ていってみたら……  竹藪から雨が降ってましたー!  藪のむこうにお日様が透けて見えて、めっちゃきらきらしています。  もちろん雪溶け水です。  だけど、雨とは違う、すみきった音がしています。    いい感じに枝垂れている竹があったのでさわってみると、葉が凍ってぱきぱき。  その葉に乗ってい

お返事です。

質問ありがとうございます!音楽描きの武さんから、こんなナイスな質問がありました。 とっても嬉しかったです。それで、この質問に答えようと思ったら、いろんな答えが湧いてきて、あれあれ、とてもtwitterでお返事できないや、と思いました。 バッハのこの曲だと誰が描いてもこういう絵になるなど顕著な傾向って有るのですか? 音楽っていろんな切り口で捉えられるから、どれが間違ってるでも正しいでもなく、ほんとにいろんな答えになってしまいます。でもでも、武さんは同じ「音楽」を「描く」同

会議ではこんなこと話してます。アート・美術に対する見方が変わった話

和樂webでは週に1回、編集長の高木さんと常駐スタッフで編集会議を行っています。会議といっても、ほとんど高木さんが話すスタイルなのですが…。そこで繰り広げられるのは運用の改善策や相談ごとだけでなく、日本文化に関するありとあらゆる知識を高木さんから得られる(植え付けられる)場なんです。日本文化初心者の私にとってはどれも興味深い話ばかりで、これはみなさんにもお伝えしなければいけない!と使命感を感じた私は、先日密かに音声を録音してきました。会議でどんなことを話しているのか、文字修正

ハマスホイとデンマーク絵画@東京都美術館

油彩画という視覚表現の可能性が、こんなにもあるんだというのは驚きだった。覗きこむとそのまま目が離せなくなる圧巻のヴィジュアルに至福の時間を過ごさせてもらった。 東京都美術館で今週はじまったばかりの「ハマスホイとデンマーク絵画」展。 展覧会の中心となるヴィルヘルム・ハマスホイは19世紀末から20世紀初頭にかけてのデンマークの画家。今回まで名前も知らなかった画家だが、なんとなく気になって観に行った。それでも本当に来て良かったとつくづく思えるほど、素晴らしかった。観ながら興奮する

敷居を下げる事よりも伝える能力を

私が最近、周りに良く話していることは、 クラシック演奏家やクラシック音楽を職業としている人は、 少なからずクラシック音楽を演奏以外で伝える義務があるということ。 私自身、学生の頃からずっとクラシック音楽を勉強してきて、何ができるかいつも考えていました。 それは、自身が音楽を通じて、 何をしていけるのか、何か世の為人の為、自分の為に、と考えるようになってからです。 基盤となる知識がないと、入りづらいクラシック音楽。 身近に感じてもらおうと、 同期とグループを組み、自主

Mit hjerte altid vanker 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

ニールセン (C.Nielsen) 作曲 Mit hjerte altid vanker (Forunderligt at sige) (CNW165 /1914年)    わたしの心はいつもさまよう ((仮訳) 語るも不思議な)    DR Koncerthuset (DR=デンマーク放送のコンサートホール) のYouTube チャンネルで、素敵なクリスマスソングがアップされていたのでご紹介します。    Laub の En rose så jeg skyde で…

言葉とリズム

私は岡ノ谷さんの言葉が生まれる前には歌があったのでという説に興味を持っている。少なくとも最初は何らかのリズムと抑揚で意図を伝えていたのではないかと思っていて、その影響は今もあると思っている。私たちが言語を扱う時、純粋にそれが活字的だということはあり得なくて、無意識にでも人は言葉になんらかのリズムを感じているように思う。 自分自身が、書くときも、その言葉が持つリズムや語感をぼんやりとおそらく意識をしていて、それがうまくいったときの言葉ほど響きやすい。つまり言葉の意味だけではな

フルート協奏曲【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

ニールセン (C.Nielsen) 作曲 Koncert for fløjte og orkester (CNW42 /1926年)    フルート協奏曲   こんど、11月10日(日)のクラシック音楽館(NHK)では、パーヴォ・ヤルヴィ指揮で、ニールセンのフルート協奏曲が放送されます。せっかくなので今回も、観賞の参考になることを書いておきたいと思います。 N響第1920回定期公演 (2019年9月825日、サントリーホール) 指揮 パーヴォ・ヤルヴィ   トゥール 「ル

今日はイタリアに関する雑学。 イタリア人は音楽好きが多いのですが、「ヘッドホン」は当初全く売れなかったとか。 それは、音楽は家族や友人と共に楽しむという彼らの価値観が影響しているそうです。 古い諺には「一人きりで食事するものは一人きりで死ぬ」とも。 ちょっと考えさせられますね…。

文字は言葉か?

縄文時代は文字がなかった時代だ。土器にも、土偶にも、土版や石板にも、文字というものは今のところ発見されていない。タイトルの写真はなにかしらの意味のある記号のようで、それともただの文様のようで、その意味はまるでわかっていない。 「文字がなかったってことは言葉もなかったの?」と、時折言われる。 そんなわけはない。「はじめに言葉ありき」というあの有名な決め台詞を知らないのだろうか、言葉の歴史は文字の歴史の何倍も古く、世界中のどんな民族にも言語はあり、どんな民俗事例をみても言語より