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だれもやってくれそうにないので、わたしが作ることにしました。【「Espansiva 〜 私的北欧音楽館」開館の辞として〜】

 だれもやってくれそうにないので、YouTubeに「Espansiva 〜 私的北欧音楽館」というチャンネルを作りました。
 ひたすら再生リストを作って情報を編集し、公開して、あわよくばインターナショナルに資料館として使ってもらえるようにしたい、という構想です。

 チャンネル名に「北欧」と銘打ちましたが、情報収集の対象はデンマークの作曲家ニールセン(1865〜1931)の楽曲の動画のみです。
 そもそもニールセンが日本ではマイナーなのですが、ニールセンの作品の中でもさらにマイナーな、大衆のための簡単な歌や賛美歌をメインに集め、曲別に再生リストを編集していきます。

 

 日本には1億人以上の人が住んでいますが、こんなことを目論むのは、どうも私ひとり、1億分の1のようです。それどころか、世界中にもいそうにないので、75億分の1でもあるようです。
 待ってても暮らしてても、誰かが代わりにやってくれる、という可能性は限りなくゼロのようなので、しかたないので自分でやることにしました。

 

・◇・◇・◇・

 

わざわざこのようなことをする意義は、3つあります。

 

 ひとつは、当たり前のことですが、

 ニールセンの音楽を的確に演奏するには、ニールセンの語法を熟知している必要がある

 ということです。

 ニールセンの場合、音楽の基本、メロディやリズムについての思想は、大衆のための日常の歌に、シンプルな形で凝縮されているように思われます。だから、200曲以上におよぶこれらの歌を鑑賞し、口ずさむことは、「ニールセンとはなにか」を会得する早道になると思われます。

 そうはいっても実際にどんな歌かは、例えばこちらの曲集をどうぞ。

 

 このチャンネルを活用してもらう対象として、クラシックの演奏家も想定していますが、再生リストには、ジャズやフォーク等々、様々なジャンルのアーティストによるアレンジや、素人による、いわゆる「歌ってみた」とでもいうべきものも、手当たりしだい集めていきます。
 というより、クラシックとしての演奏は脇役で、これら、いきいきとしたアレンジこそメインであると考えています。
 なぜなら、これらの歌については、ニールセン自身が「再生芸術」として鑑賞されることよりも、生きて、歌われ、変化して、愛されることを圧倒的に望んでいるのではないか、と思われるからです。それだけでなく、実際に、クラシックとしての演奏のほうが、表現の振れ幅を楽譜に縛られて、不自由にしているように感じるからです。

 

 もうひとつは、

 これらニールセンの歌には、クラシック音楽の聴かれ方を変える契機がある

 ということです。

 日本人にとってクラシック音楽は、ヨーロッパからやってきた真似すべき芸術でした。今でも、ステージ上で演奏家が演奏するのを謹聴する、敷居の高い芸術です。だから、ウィーンっ子がナチュラルにシュトラウスのワルツを楽しむ、みたいなのは、日本人にはまだなかなか出来そうにありません。
 また、従来のクラシックの作曲家の作品も、「ステージの上で」あるいは「芸術として」演奏されることを主に目指していて、「いつでもだれでもどこでも気軽に」ということに腰を据えて取り組んだ作曲家は、私の知っている範囲ではいません。

 だけど、ニールセンは、ステージ上の芸術としての音楽を追究すると同時に、大衆のための「いつでもだれでもどこでも気軽」な歌の作曲もメインの活動とし、かつ、完成度の高いものとして仕上げました。
 いわばニールセンは、クラシック音楽をステージの上から連れ出して、大衆の日常にくまなくいきわたらせようとした……これはなかなか稀有なことです。

 名もなき職人の手による日用品に美を見出したことからはじまったのが、日本の民芸運動で、ニールセンのしたことは、芸術を日用品として提供し、あたりまえのものであるかのように民衆の日常生活のかたわらに置くことだった、そう考えるとわかりやすいと思います。
 だから、ニールセンの手によるなんでもない歌を知り、聴くことは、クラシック音楽を「上からくるもの」としてだけでなく、「下から楽しむもの」として捉えなおす契機になるのではないか、と考えています。

 

 最後のひとつは、

 ニールセンの真の魅力は、これらの歌にこそある

 ということです。

 長年ニールセンのファンをしてきましたが、ニールセンは管弦楽の扱いは、あまり上手いとはいえない、と思っています。聴いていて、「もうちょっと何かできただろう!」とつっこみたくなることは少なくありません。申しわけないけど、同じ1865年にフィンランドで生まれたシベリウスのほうが圧倒的に巧みです。

 だけど、ニールセンという人は、削り込み、シンプルにすればするほど凝縮度が高まる人のようで、あまり知られてないですが、ピアノやバイオリンのための器楽曲においては、個性的な独自の境地を切り開いています。


 また、6曲の交響曲について、一般的には第4番と第5番が評価が高いものとされていますが、私は、従来の管弦楽や交響曲の枠組みを壊してしまった第6番「シンフォニア・センプリーチェ」が最も完成度が高い、と考えています。
 「センプリーチェ」=シンプル、の名の通り、音を削り込み、軽妙に仕上げられた作風は、6曲のうち、もっともニールセンらしい作品です。「交響曲による俳句」というのがふさわしいと思います。

 

 ただし、これらの作品は、芸術音楽として仕上げられたものだけに、残念ながら、やや晦渋で、とっつきにくい。特に晩年の作品になればなるほど、メロディラインが自由になり、捉えにくくなり、容易には親しませてくれません。
 だけど、ニールセンは、削り込むことによって磨きを増す、という技を、大衆のための歌で遺憾なく発揮してくれています。しかもそこでは、誰でもいつでも歌いやすいように、そしてメロディによってデンマーク語がさらに生き生きとするように、という「用の美」まで追求されているのです。
 だから、聴くだけでなく、口ずさめば口ずさむほど、一音一音が其処に在るべき必然性が見えてくる。そのゆるぎのなさは、居合い切りの達人の身のこなしの鋭さ、簡潔さに通じます。ゆえに、歌い、理解が深まれば深まるほど、底知れぬものが見えてきて、空恐ろしくなってくる……もはや音楽ではなく、哲学と対峙しているような気すらしてきます。
 誰もこんなことを言ったことないと思いますが、ニールセンの作った大衆のためのメロディは、その深さゆえ、「野のバッハ」とでも呼ぶのが最もふさわしく思われます。

(これは、ニールセンがなくなった年に作曲された2つのリコーダーのための曲ですが、「野のバッハ」と呼びたくなるゆえんは、この曲からも伝わることと思います)

 

 そうやって、簡単な歌を聴き込んで、ニールセンの語法というか、呼吸というものを身につけて、あらためて、晦渋な芸術音楽にもどってくると、それらの音楽が、民衆のためのメロディと同じ呼吸と生命力を備えていることが感じとられるようになります。
 そこにあったのは、ただ、音楽が音楽たらんとする必然性だけで、難しさなど、実はどこにもないのです。
 ニールセンの書く音楽の最大の魅力は、「音楽自体がもつ生命力の輝かしさ」にほかなりません。その生命力が凝縮しているのが、これらの簡単な歌なのです。

 

 さらにつけくわえて。
 歌は必ず歌詞をともないます。ということは、曲は、歌詞に描かれた世界を的確に描写せねばなりません。ニールセンの音楽による描写力のただならなさが、これらのシンプルな歌を底支えしていることは、いうまでもありません。
 管弦楽曲においては、「ヘリオス」序曲と「パンとシリンクス」に如実にあらわれていますが、もう、ここでは、叙述はこの程度にとどめておきます。

 

・◇・◇・◇・

 

 以上のように長々と書いてきましたが、かくなる理由でこのチャンネル「Espansiva 〜 私的北欧音楽館」というものを開設します。

 ただし、お断りしておきますが、私自身は研究家でもなんでもなく、ただの在野の人間です。
 デンマーク語に堪能なわけでも、英語ができるわけでもありませんので、ニールセンに関する文献を読みこなすということができません。できるのはグーグル翻訳のよくわからない翻訳結果に頭を悩ませるくらいです。そもそも、インターネットのどこを当たれば資料が出てくるかということも、模索中です。
 だから、ここに書いたことも、これから、再生リストを公開するにつれてこのnoteという場で書くことも、すべて、文献や過去の研究に基づくものではなく、ただ、ニールセンの音楽からのみ導き出されたれたものである、ということをご理解ください。

 また、もし、事実誤認やデンマーク語についての勘違いなどがありましたら、遠慮なくご指摘をお願いします。

 

 逆に言うと、音楽だけからこれだけのものを語らせてしまうニールセンはやはり、偉大です。
 マーラーやブルックナーも好きでよく聴きますが、ニールセンのように、ここまで熱く、深くは語らせてはくれません。
 ベートーヴェンの音楽は哲学的ですが、ベートーヴェン個人と芸術の範囲にとどまっていて、ニールセンのように音楽を愛するふつうの人々が視野に入っていないのがもの足りないような気がします。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて、最後になりましたが、YouTubeのチャンネルについて、リンクを貼ったりどうのこうの、というのがよくわからないので、リンクがわりに、この季節にふさわしい曲の再生リストを作りましたので、貼り付けておきます。
 今後順次、再生リストを作り次第、このnoteでご紹介していきます。

 「Påske」はデンマーク語でイースター、「Påskeblomst」はイースターの花、という意味になりますが、水仙の花を指しているようです。
 朝早くに東の窓を開けて、まだ冷たい空気を胸いっぱいに味わうような、心洗われるメロディです。

 例年なら水仙の季節がきたら自然に聴きたくなって、桜も散ったいまごろはもっと別な、初夏の爽やかさを感じる歌を歌いたくなるのですが、今年はまだ風がさむいので、まだこの歌を聴いています。水仙の花自体は、この数日で終わってしまったのですが……。

 

 

 今後の記事が気になる方は、こちらのマガジンに収録しますのでどうぞ。

 ニールセンについてだけでなく、その他、音楽やことばに関する自他の記事を集めていくので、やや雑多なラインナップになりますが、音楽とことばの根が同じであるということは、そもそもニールセンの音楽から得た命題です。
 ニールセンについての理解を深めるためにもコレクションしています。ご理解ください。

 

 

続きはこちら↓。

 

 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。