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ショスタコーヴィチとヴァインベルクが、ニールセンとよく似ていた件② 【C.Nielsen】《私的北欧音楽館》

Eテレ クラシック音楽館 7月14日(日)放送

 N響第1911回定期公演(2019年4月24日、サントリーホール)
 指揮 下野竜也
 
 ショスタコーヴィチ バイオリン協奏曲 第1番 イ短調
           (バイオリン ワディム・グルズマン)
 
 ヴァインベルク 交響曲 第12番 作品114
         「ショスタコーヴィチの思い出に」

 

 ショスタコーヴィチとニールセンが似ていることは以前から知っていましたが、今回の放送ではじめて聴いたヴァインベルクもまた、ショスタコーヴィチと違った意味でニールセンに似ていてびっくりしたので、走り書きではありますが、記録として残しておきたいと思います。

 記録といっても、書くうちに長くなったので、2つに分けてお届けします。②は、主にヴァインベルクについてになります。

 とはいえ、ここはニールセンがメインのアカウントなので、かなりの部分がニールセンの Den danskesang er en ung blond pige交響曲 第6番「シンフォニア・センプリーチェ」についてになっています。ご了承ください。
 
 逆に、ニールセンの交響曲 第6番「シンフォニア・センプリーチェ」について読みたい方は、目次から「私もかつて、こういう音楽を奏でていた……なのに!」へ、Den danskesang er en ung blond pige については、記事①の「国家を背負った作曲家」へ飛んでください。

 前半の記事はこちら……

 

・◇・◇・◇・

 

ヴァインベルクの歌は、野のさえずる小鳥 〜交響曲「ショスタコーヴィチの思い出に」

 さて、ショスタコーヴィチの次は、ヴァインベルク交響曲 第12番「ショスタコーヴィチの思い出に」です。
 名前も存在も初めて知る作曲家です。

 1919年生まれなので、ショスタコーヴィチの13歳年下になります。ショスタコーヴィチヴァインベルクの才能を認めており、ヴァインベルクも、ショスタコーヴィチから多大な影響を受けていたようです。
 ポーランドの首都ワルシャワのユダヤ人家庭に生まれ、第二次世界大戦が始まったのを機にソ連に亡命。
 ポーランドにとどまった父と妹は強制収容所に送られ命を落としました。祖父と曽祖父もユダヤ人迫害の犠牲になったそうですから、あまりにも過酷な運命です。

 コンマスのまろさんとの対談で、指揮者の下野さんが、「初めはショスタコーヴィチっぽく演奏すればいいと軽く考えていた。だけど考えが変わって、ヴァインベルクの曲として解釈をやり直した」というようなことを言っていました。また、まろさんが演奏する側からの印象として、「ふつうなら、次はここにくるよね、という音の半音上とか半音下に音が来る」という難しさを語っていました。

 だから、こちらとしては、

 ショスタコーヴィチ似の、音程があちゃこちゃする曲。
 めんどくさそう……かなり耳障りな現代音楽なんだろうな。

 な〜んて、ちょっと覚悟を決めて聴きはじめたんですよね。

 

 それが、まったくの想定外で……
 第1楽章が始まってすぐ、

 なにこれ、この人もニールセンそっくりやん!

 って、唖然としてしまって、この人すごい、いったい何者?、って、つい聴く姿勢がテレビの前で正座に変更(うちは畳ライフ)。

 

 だけど、ショスタコーヴィチの似てる、とヴァインベルクの似てるは全く別の方向なんです。
 ヴァインベルクは、メロディの歌わせ方がニールセンとそっくり、なんです。つまり、「中身」が一緒。だから逆に、ショスタコーヴィチの似てるは外側、つまり、音の連なり方や場面転換の意表の突き方といった「形」が似ている、というのがよく見てきました。

 たしかに、まろさんの言ったとおり、音が普通でない変なところに跳躍します。実際に自分が声に出して歌ったら、一般的な調性の感覚にとらわれて、うまく音がとれないだろう、と容易に想像がつきます。
 だけど、そんな難しさなんか感じさせないくらい、ヴァインベルクのメロディは、自然に、伸びやかに、鼻歌のようにこともなげに歌っている。たしかに現代音楽なんだけど、ぜんぜん平気だし、ふつう。体ごとノれるし歌いたくなるし。

 なによりも、音楽自身が楽しそうに歌っている。
 もう、「なんじゃこりゃ!すげーよ!」で、目が点、です。

 

 例えるなら、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の「プロムナード」がめちゃんこ変拍子なのに、そんなの気にせずにふつうに鼻歌で歌える、みたいな。
 ていうか、このメロディの冒頭が、1小節ごとに5拍子と6拍子が入れ変わる変拍子だと知ったときの衝撃は忘れられませぬ。

 ニールセンの曲で例えるなら、これ。

 すごーく親しみやすそーで、わかりやすそーな顔して、実は音程めっちゃ鬼な木管五重奏曲
 ちょうど楽譜つきの動画がありましたが……見ればおわかりのように、臨時記号の嵐。忙しい人は、0:50から臨時記号が目まぐるしくなるので、そこから聴いてみてください。

 この曲、「ピアノで耳コピで音がとれるかな〜♪」なんて軽い気持ちで試みて、絶対音感のない私は、わけがわからなくなって何小節もしないうちにあえなく撃沈した思い出があります。それだけ調性音楽の「この音の次はだいたいこの音程で来る」というパターンにとらわれていた、ってことか、と後からしみじみ思いました。

 

 ニールセンの時代は、ドビュッシーの全音音階やシェーンベルクの十二音音階とか、「調性音楽じゃないクラシック音楽」への移行が決定的になった時代でした。もちろん、ヴァインベルクの世代もその流れの先にあるわけです。
 にもかかわらず、調性音楽は未だに滅びてないし、日常では主流です。「調性」という枠内の方がパターンが決まっていて人間も歌いやすいし、メロディも歌わせやすい。ちょうど、日本人がついつい「五七五」の枠にあわせて標語をつくりたくなる、みたいなものかもしれません。
 だから、ニールセンのようにひとつのフレーズの中で調性をころころ変えていったり(……っていうより、つかもうとしたら、先へ先へとぬるぬる逃げていくうなぎみたい)、ヴァインベルクのようにここじゃないところに音を飛ばしたり、なんてのは、長年の間に聴き手の体の中に蓄積された調性音楽と衝突して、耳触りがぎくしゃくして感じられるのが当然。

 ……のはずだけど、このふたりはそうではないんです。
 とんでもないところに音を飛ばし、想定外の音を連ねてもメロディとしての心地よさが破綻しない。それはもう、

 音楽自体が「そうありたい」と自ずから伸びていく、内的な必然をとらえているから

 としか言いようがない。

 たしかに、小鳥の歌には調性はありません。どこに向かっていくか、自由で予想もつきません。だけど、自然で伸びやかで、耳に心地よいです。
 つまり、ニールセンとヴァインベルクは、それをやっている。

 

 さて。それにしてもですね……
 じつは、一瞬前までは、まさか「小鳥の歌には調性はありません」だなんて結論にたどり着くとは、思ってもいませんでした。

 そもそもは、本文を書く前に小見出しを決めようとして、ヴァインベルクのメロディの曇りのないのびやかさをどう表現したらいいかを考えているときに、①の記事でとりあげた、ニールセンの Den danske sang er en ung blond pige の一節、

  lære kan vi af nattergale, af lærken over den grønne vang.
 (私たちは小夜鳴き鳥にまなぶことができる、緑の vang を飛ぶヒバリに)
 
 ※vang はグーグル翻訳では「頬」とか「壁」とかと出てくるので謎です。
 ※語順を英語っぽく「Vi kan lære af nattergale 」とすると、あーね、って感じですよね!
(デンマーク語の「v」は、英語では「w」に置き換わるパターンが多いようです)

 からヒントをもらった、というだけのことだったのですが。意図せずして小見出しが回収できてしまい、われながらびっくりしてます。

 だけど、ニールセンが自由に調性の切り替わる音楽を目指したのは、幼いときに体いっぱいに詰め込んだ小鳥の歌や、小川のせせらぎや、風のそよぎや、草原のざわめきには、調性なんてないし必要なかった、調性のしばりから音楽を解放して、生まれ生ずるがままの自然にもどしたかったからではないか、と感じてます。
 ヴァインベルクもまた、ナチスに追われて捨て去るしかなかったポーランドの自然は、調性にしばられることなく、自由に音を跳躍させていたことを書き記したかったのかもしれません。

 

 悲しき木琴

 この「ショスタコーヴィチの思い出に」は、第1楽章はメロディアスなところが多く、親しみやすさも感じられたのですが、第2楽章、第3楽章では、影をひそめ、ショスタコーヴィチ似の面倒くさい感じのほうが強いです(どうやら、ショスタコーヴィチの作品から様々な引用がされていたりもするようですが……残念ながら知識がないのでわかりませんでした)。
 だけど、第4楽章になるとまた、メロディアスな感じが帰ってきます。

 なかでも、木琴のメロディです。
 第4楽章については、指揮者の下野さんも、コンマスのまろさんも声をあわせて「木琴のメロディが全体の中で異質すぎる」と指摘していましたが、その木琴のメロディが、これまた愛らしく、自由で自然なんです。
 やはりここでも、ニールセン中心主義の私は、「まるでニールセンのつくる歌みたい!これ大好き!」なんて、感動してました。

 下野さんもまろさんも、この木琴を「異質」と言っていますが、私にはこれがヴァインベルクの本当の顔ではないか、と感じられ、ごく当たり前のように耳になじんで聴こえます。
 だから、木琴が鳴るたびに、ヴァインベルクが恥ずかしげにひょっこりはんしているように思えて、ついつい「おかえり!」といいたくなってしまいます。

 

 さて。
 ここでその木琴がどんなメロディを奏でているのか、動画を紹介したいところなんですが、YouTubeで探してみて、ヴァインベルクについては、全く意味をなさない、ということがわかりました。
 そもそも動画が少ない、ということもありますが、その少ないものがどれもこれもショスタコーヴィチの完全コピーのような演奏で、全く魅力的でないのです。
 下野竜也の指揮ではショスタコーヴィチっぽさも、ずいぶんと影が薄く感じられたので、むしろ、ここまでショスタコーヴィチ感100%に演奏されていることにびっくりしたほどです。もちろん、随所に感じられた自然な歌声、ニールセンのような自在さは、片鱗もありません。

 下野さんがショスタコーヴィチっぽく演奏することを捨てて、ヴァインベルクという人に正面から向き合い、魅力を引き出したことは、画期的なことなのかもしれません。

 私の文章は、この下野竜也の新しいヴァインベルクにのっとったものになります。もしこのヴァインベルクがなければ、私は「ヴァインベルクとニールセンが似ている」と感じもしなかったし、ここまでで書いたことと、これから書いていくこととを、考えつくことも、たどり着くこともとできなかったでしょう。
 逆に言うと、下野竜也ヴァインベルクを聴かないことには、私が音楽から感じたことを正確に伝えることができません。だから、下野竜也の代用としての動画は、あえて貼り付けないことにしました。

 このN響×下野の演奏は間違いなく、繰り返して聴きたくなる演奏でした。CD化するなりして、もっと広く世界に届かせてほしいです。

 

 そうはいっても、この木琴のメロディのよさは聴かないことには伝わらないので、あえてあげるとしたら、Spotifyで見つけたこの演奏になるでしょうか。

 この演奏ではずいぶんと柔らかく愛らしく演奏されているので、比較的下野さんの演奏を想起しやすいと思います。
 が、実際の演奏では、もっと儚く、微かな音で演奏されていました。なぜなら、下野さんは、「この木琴はナチスの犠牲になった妹のことではないか」と解釈しているからです。
 たしかに、まるで幽冥の境のむこうから聴こえてきた音のように聴こえました。民謡風のメロディは、まるで、遠い故郷から「あのときは幸せだったね」と語っているようにも思われました。

 あ……それと、木琴から死んだ妹と戦争を連想するのは、金井直の「木琴」の詩のせいかもしれませんね。

 だけど、まがりなりにも交響曲のタイトルが「ショスタコーヴィチの思い出に」なのですから、木琴が出てくるたびに自分の妹のことばかり回想するのも変な感じがします。
 下野さんは、この楽章にどんなストーリーを見出していたのでしょう。興味がひかれてなりません。

 

 私もかつて、こういう音楽を奏でていた……なのに!

 そんなわけで、私はこの木琴のメロディについては別のことを考ながら聴いていました。
 この木琴のメロディ、なんとなくですが、ニールセンの交響曲 第6番「シンフォニア・センプリーチェ」に似てるんです。

 たとえば、鉄琴で導入される第1楽章の冒頭や、第1主題↓を思い出したりします。

 それと第4楽章のはじめにファゴットのソロで提示される「主題」と、8:48からはじまる打楽器オンリーの「第9変奏」(トロンボーンがほぼ打楽器あつかいなのがすごい)と、「フィナーレ」のファンファーレのあとのバイオリンの走句↓。

 この文章を書くためにこの曲を聴きなおしてみて、いまあらためて、ヘンテコさにくらくらきてるし、「この交響曲とんでもない!ニールセンはアタマがおかしいのかもしれない(いいいみで)……」って、変な汗出てます。
 とにかく、なにかの先頭を突っ走りすぎていて、理解がついていけません。

 ニールセンの傑作、としては一般的には、交響曲 第4番「不滅」第5番があげられますが、私はこの第6番「センプリーチェ」が最高だと思っています。理由は「なんとなく……」ってのが素人の悲しいところです。でも、今回ちょこっとスコアを参照してみただけでも、誰もやってなさそうなことが目について、すごすぎる。
 また、ふだんは明るくユーモアいっぱいでポジティブなニールセンにはめずらしく、シニカルだったりグロテスクだったり、とネガティブ要素が描かれています。そんなわけで、この曲には、ショスタコーヴィチの作風に通じるものを感じます。

 

 で、ここからは、想像というよりは、妄想の暴走になってくるのですが……

 もし、ほんとにショスタコーヴィチがニールセンから影響を受けていたとして。
 それを、ヴァインベルクには明かしていたとしたら?

 この木琴のメロディは何なのか?……という問いに、2つの答えが考えられます。

 

 ひとつは、単純に、若き日のショスタコーヴィチにとって「センプリーチェ」が、とくに第9変奏が衝撃的だった、ということです。
 しかも、ニールセンが木琴を用いている例は、主要な管弦楽曲を見回しても、この例とあと2曲くらいしか思いつきません。

 もうひとつは、自伝「わがフューン島の少年時代」にある、ニールセンの5、6歳のときのエピソードです。

 「私は薪の束の陰に立っていましたが、薪を使ってメロディを演奏していたところでした。兄と私は、薪が一本ずつちがう音色をしているのを発見し、私がその端にチョークで印を付け、槌で叩けばいろんなちょっとしたメロディが演奏できるようになっていたのです。」(P.54)

 ……高いところの薪も離れたところの薪も叩かないといけなかったようで、ぴょんぴょんしながら演奏してたみたいです。

 

 薪を木琴がわりにして遊ぶ幼い兄弟の姿は、想像するだけで、もう、ふつうにかわいいです。
 それだけでなく、ニールセンはその時の、

 ただもうひたすらに、音が鳴るのがたのしい。
 そのうえ、合理的に音を連ねるとメロディになるのがおもしろい。

 という心持ちに忠実に、音楽を生み出し続けたように思われてならないし、だからこそ、前向きで、実直な、人を幸福にするメロディを大量に世に送り出すことができたのだと思います。
 「おにいちゃん、ここを叩いたらこんな音が出るよ!」という偶然のびっくりと、うきうきわくわくをそのまま音楽にしたら、まるでおもちゃ箱みたいに多様な要素ごっちゃまぜの「センプリーチェ」になったのかもしれない、とも思います。私が「センプリーチェ」を傑作だ、と感じる理由のひとつは、そこにあるのかもしれません。

 ですが、ショスタコーヴィチヴァインベルクが、ふと我が身をかえりみて感じるものは、そんな純粋な音楽の喜びから、遠く隔たってしまった自分、ではないでしょうか。
 ショスタコーヴィチは、スターリンの顔色をうかがい、本音を殺して体制に順応せねば、生命すらも危うかった。そして、実際に、人生を中断させられた仲間もいた。
 ユダヤ人であるヴァインベルクは、ナチスに追われ、ソ連に亡命し、父と妹を強制収容所で殺された。

 社会と時代により、人生を蹂躙された。
 それゆえ、音楽もまた、屈託せざるを得なかった。

 そのことを思うと、ヴァインベルクの書いた、素朴な木琴の音の民謡風のメロディは、

 私もかつては、純粋に音楽を楽しんでいました。
 そう、こんなふうにね。
 だのに、いま、それはもう、はるか手の届かぬことになってしまったようです……

 「どうしてこんなことになってしまったのだろう……」という悔恨と慟哭をひそめているように思われてなりません。


 跳躍して……外へ!

 この木琴のメロディは、第4楽章中にかなり頻繁に出てきます。このメロディ自体も音程がハズレれていますが、木琴を受け止める「地の文」に当たる音楽も、コンマスのまろさんの指摘どおり、音程のハズレたメロディで構成されています。
 だけどこれがまた、なんだか、かわいい……聴きながら「ほぼ、ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん♪、だなぁ」なんて考えてました。

 ホントにこんな感じだったか再確認するために、YouTube等にアップロードされているものを聴いてみましたが、やはり、だめでした。どう聴いても騒音にしか聞こえません。5分くらいで限界……再生ストップです。

 ……ところで。
 こうなってくると、
 
 そもそもヴァインベルクは「騒音」を書いていたが、下野竜也がメロディを見出したのか、
 ヴァインベルクが「騒音と見せかけて」書いていた音楽から、下野竜也がメロディを再発見したのか?
 
 一体どちらなのかが疑問で疑問でたまらなくなってきます。
 が、今のところ調べようがありませんし、指揮者により新しい魅力が発見されるのが、再生芸術であるクラシック音楽の醍醐味でもあります。
 それはちょうど、ドラマ化した「白い巨塔」や「砂の器」には、それぞれのバージョンごとに異なる面白さがあり、原作には原作のよさがある、ようなものでしょうか。

 

 この「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんらん♪」なメロディ、音程が上下に大きく跳ねるのが特徴です。
 こんなにも生き生きとした跳躍のエネルギーはどこからくるのか、というのが不思議で、「正体は何か?」ということをずっと考えながら聴いていました。
 で、頭にうかんできた映像は「炒りごま」。
 火が通ったらつぎつぎとごまがはぜて、鍋の外へ飛び出していく、元気で生きのいい様子とそっくりなのです。

 つまり、音符自体がはぜて、好きなところへ好きなようにぴょんと飛ぶ。当然、調性音楽のらち内におさまるとかおさまらないとか、考えもしません。必然的に半音ズレたりして変なところに飛び上がります。
 これはまるで音符が、ナチスによる抑圧や、ソ連という「体制」を飛びこえて、自由になろうと試みているように感じられます。音符は跳ねあがり、当局が思いもよらなかったところに着地して、喝采をあげているようにも思えます。

 

 また、こんなふうにとらえると、ヴァインベルクとニールセンが似て非なるものであることがよくわかり面白いです。
 第1楽章もそうでしたが、ヴァインベルクのメロディの進行は、ニールセンのように音楽自体が自ずから伸びていく内的な必然をエネルギーにしています。そこが、非常に似て感じられる。

 だけどやはり、生み出されたものは全く違う。

 ニールセンは、植物モデルです。つる性の植物がうねりくねりしながらつるを伸ばしていくのに似た、横に這いのびていくメロディです。
 それに対してヴァインベルクは、跳躍モデルです。ホウセンカの種がはぜるように、音符自体のはじける力を利用して、震度計の針のように上下しながら進行していくメロディです。

 

・◇・◇・◇・

 

 以上のようなことを考えていくと、ヴァインベルクの語りたかった「ショスタコーヴィチの思い出」とは、もしかしたらこのようなものだったのかもしれません。

 すなわち、

 作曲の原点となる「音楽を表現する」という喜びが、政治体制により抑圧され、純粋なままではありえないことを嘆きつつも、枠から外へ、外へとはみ出していくことを試みることを諦めなかった。

 公には明かせない内面の秘密を、ヴァインベルクだけには明かした、ということもあったかもしれません。それらを言葉として残すことが、お互いにとって危険なことであった可能性は、容易に想像できます。
 それらもひっくるめて、音楽としてヴァインベルクは残したかった、のかもしれません。

 

・◇・◇・◇・

 

 

 さいごに……

 この文章をしあげようともがくうちに時間がたち、奇しくも、外の世界では、芸術と政治の関係を問うような出来事が起きてしまいました……ショスタコーヴィチヴァインベルク、そしてニールセンが三者三様に、国家や政治から完全に自由ではありえなかった、ということを考え込んでいるうちに、です。

 世の中には、容易に答えの出せない問題が存在します。

 だからこそ、表現というものは、自由で、多彩であるべきです。人の数と同じ数だけの思索や試行錯誤があって、すりあわされて、はじめて「後世に伝えても大丈夫そうな、よりよい解答」が見出されるのだと思うし、それこそが、人類の「類としての生き残り戦略」の根幹なのだと感じています。

 

 国民に単一の思想を強いたナチス・ドイツもソ連も、国民全体にさんざん不幸を振り撒いたあげく、国家として生き残ることはできませんでした。
 かつて、治安維持法下の日本だってそうでした。だからこそ、日本は1945年に大いなる挫折を味わい、今にいたっています。

 その轍を二度と再び踏んでくれるな

 それが、音楽をとおして語りかけてくる、ショスタコーヴィチヴァインベルクの遺志なのかもしれません。

 

 

次回はこちら↓


 

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。