20191116

いつ以来文章を書いてないだろう、って考えたら、ちょうど1ヶ月でした。
理由は、何かこう、色々だけど。
語るべきことは色々あるけれど、語りたいことが何も無くなってしまったというべきか。

ちょうど一年くらい前までは、毎日のように文章を書いていた。誰かに読まれるための文章を。
それが嫌で、もうしばらくは自分以外のために何かを書くのはやめようって思ったんだけど。
考えてみたら、モチベーションにするほど自分が大切な訳じゃなかった。

仕事がバカみたいに忙しいのはまぁいいのだけど。
大切なものを自分の目で見て、その姿をしっかりと認識しておかないと。
希薄になるのは世界のほうじゃなくて、自分なのだと思うのだ。



そういえば、土曜日に山形へ行ってきました。
People In The Boxのライブのファイナルを見ることが目的だったのですが、
わずか一日半の間に数えきれない美しいものを見ました。
特に、山寺の上まで登ったのは本当に凄い体験。この世とあの世を分かつ場所を通り抜けた後、本当に向こうの世界の住人になったかのようで。
死んでからもこんな千段の石段を登らないと救われないんだな、と。ぼんやり考えました。

『閑かさや 岩に染み入る蝉の声』
と詠んだのは芭蕉ですが、11月の山寺は誰もいない、最初から最後まで生の気配がしなかった。

擬似的に死んでからこの世に戻ってきた後で、自分が何か変わったのかというと。
まぁきっと何も変わっていない。
ただ自分の存在の小ささ希薄さを実感しただけ。
こんなに小さいのに、一体何が出来ると期待しているのか。

生は死の対極としてではなく、生の一部として存在している。

どうやって生きるのか。
それはすなわち、どうやって死を迎えるのかってのと同義。
そのために自分が出来ることは何か。

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