People In The Boxの「Tabula Rasa」

「Tabula Rasa」とは、完璧な白紙状態であること。元々あった何かを消したわけでも削ぎ落としたわけでもなくて。
生まれたその瞬間から今までずっと何も書かれていない。そんなピュアな状態のことです。

People In The Boxが9月にリリースしたアルバムのタイトルは「Tabula Rasa」。リリースの数日後からはリリースツアーで全国を回っています。
土曜日の西川口、日曜日の水戸と見に行ったのですが、今回は敢えて事前情報を全く入れず、音源も全く聴かずに行きました。
理由は、文字通りの白紙状態で彼らの演奏を聴いてみたかったから。

「Tabula Rasa」という言葉を聴いて思い出すのは、2018年の1月に初めて彼らのライブを聴いたときのこと。
一番聴きたい曲はそのときのセットリストに入っていなかったのですが、最後に演奏された曲はそんな雑念を全部吹き飛ばすくらいの凄まじい演奏でした。
彼らの代表曲の「ヨーロッパ」。その瞬間に初めて聴いたのですけれど。
音楽に魂を鷲掴みにされる感覚をそのときに初めて味わったのです。

ある種の静謐さすら感じる前半部分からの、感情を叩きつけるようなポエトリーリーディング。
溢れる光にただ流されていくような時間。
People In The Boxのライブを聴いていると、音楽と身体の境界がだんだんあやふやになっていく。そんな感覚を覚えます。
音楽は自分の中に染み込む。
そして音楽はジャムを構成するグラニュー糖のようで、じわじわと自分が音楽の海の中へ溶けていくような。
少し間違えると自分という境界線の中に戻れなくなるくらいに、世界を作り変えてしまうのです。

『僕はきみのなかへ落ちていった、
とても深い深いところへ
何かのためには生きていけないから
永久に泥のように微睡んでいたいのだ
煙の充満した、汗にまみれたこの部屋で
目には見えないものを
いまにも掴もうとしている』

その感覚が、その光が。眩しすぎて未だに視界の端で瞬いているのです。



今回のアルバム「Tabula Rasa」。
一言で表すならば、とても深い包容力をもったアルバムだと思います。

彼らのアルバムで包容力を持っているというと、真っ先に浮かぶのは「Wall, Window」なのですけれど。近いけれどもだいぶ違う。
「Wall, Window」は両手を広げて待っていてくれる、分かりやすい優しさ。
「Tabula Rasa」は、抱きしめてはくれないけれど遠くから優しく見守ってくれる、深い優しさ。
より成熟した魅力を感じるのです。

前作の「kodomo rengou」を遥かに凌駕していて、素晴らしいアルバム。
今年リリースされた音楽アルバムの中で、間違いなくいちばん好きです。

今回のライブを、西川口では最後列で、水戸ではいちばん前のほうで聴いていたのですけれど。
どこで聴いても見える風景は一緒だった。やっぱり、彼らの音楽は世界を変えてしまう。
最初の曲「装置」で、世界がゆっくりと変転していく感覚。フレンチトーストに卵液がゆっくりと染み込んでいくように。


ライブから1週間が経って、未だにあの音楽の世界から戻ってこれずにいます。まともに過ごせた気が全然しません。
今週末はPlastic Treeのライブなのに、全然聴ける気がしないんですよね。

とりあえず、これが今のところの感想。
あまりにも良いライブだったので、遠征を増やそうかと考えているところです。
仙台とか増やそうかな。

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