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自分の中の「好き」に寄り添う5つのアイデア

こんばんは、ベーちゃんです。
今日は「自己理解」に関する文章を書いてみます。

テーマは「好き」について。

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最近、「好き」という感情について改めて考える機会があった。

友達とご飯に行った時に、「好きという感情がわからない」という話になり、う〜んと唸ってしまった。困った……なぜだろう。

思えば、「私はこれが好きだ」と面と向かって伝えるのって、結構難しい。食べ物だって、「これが好き、これも好き。でもこれは好きじゃない」ってズバズバ言えない。友達や恋人の好みなんて尚更よくわからない。

近年、「好き」の重要性が高まってきている気がする。

「好きこそものの上手なれ」ではないが、自分がなりふり構わず打ち込める何かを持っている人は信用できるし、能力値も高いなあと感じる。そういう人は外から見ていて、意思決定の基準がわかりやすいからか、見ていて安心する。

人事や人材エージェントがあ、新卒就活で「あなたのやりたいことは?」とやたら聞くのもそういうわけだ。「好き」が一つに定まっている人は、話が早い。

就活云々をさしひいても、この「『好き』がよくわからない」という感覚を持っている人は、案外多いのではないだろうか。かくいう僕も、この感覚を長い間ず〜っと抱えてきた身である。

好きにはいろんな対象がある。
漫画、アニメ、食べ物、場所、匂い、人、言葉、音楽……

それだけ数多くの中から、僕たちはどういう基準で、自分の「好き」を発見しているんだろう。

また、「好き」を人に言えなかったり、「好き」がわからなくなってしまったりするのはなぜなんだろう。

そうした疑問から、好きに関する僕の考えを5つにまとめてみた。

目次
1. 「好き」は、自分が納得できればなんでもOK
2. 「好き」への納得感は、メタ度が高まるほど強まる
3. 「好き」の種類は、「冒険心」「居場所感」の2つ
4.「好き」は、再現性を要求する
5. 「好き」は、飽きやすい

1. 「好き」は、自分が納得できればなんでもOK

「好きに理由なんかいらないよ」という言葉がある。これについては半分同意で、半分反論したい。

確かに、卵が好きな理由とか、お香が好きな理由とか、コーヒーが好きな理由とか、どこが好きかは言えても、どうして好きになったかはそこまで重要じゃないものもある。

しかし、好きな理由が重要なものもある。

例えば、「なぜ、Aさんを恋人として好きなのか」「なぜ、この仕事が好きなのか」など、アイデンティティに強く関わるものだ。これらは、いざ自分の中で疑問が出てきてしまった時に、好きな理由がわからなくなると非常に不安になる。

このように、好きな理由の重要性が高いものもあるのだけど、その人個人が納得すればとにかくOK、ということなのだろう。言葉による意味づけが必要なのも、結局納得したいからなのだ。納得したいがための意味づけは、脳が不快感を避けるための大切な特徴の一つです。

2. 「好き」への納得感は、メタ度が高まるほど強まる

好きへの納得感の話の続きだが、どうしても自分の「好き」という感情に納得ができなかったり、自分の「好き」がわからないという人がいる。これにはきっと、自己肯定感や自己理解の不足が影響しているのではないかなと思っている。

ここでは、そうした自分の価値観への理解度を「メタ度」と呼称しています。「メタ」とは「高次なー」「超ー」という意味の接頭語として用いられる言葉です。

使用例でいうと「メタ認知」という言葉があります。これは「自己の認知活動(知覚、情動、記憶、思考など)を客観的に捉え、評価した上で制御すること」を意味しています。自分をより高い位置から俯瞰して認識するということですね。

詳しいことを知りたい方は、以下のリンクからどうぞ

3. 「好き」の種類は、「冒険心」「居場所感」の2つ

好きなものを判断する以上、なんらかの基準をもっているはずだ。

好きか好きでないか、好きならどう好きか。
僕たちは無意識のうちに、対象を分類している。

では、「好き」にはどんな種類があるのか。
うんうん考えていたところ、オンクさん(@it_warrior_onc)のこんなツイートが。

このツイートを見た時、「この2つに『好き』という感情は集約されるのでは?」というアイデアが浮かんだ。ちょびっと換言してまとめてみると、以下の二つを満たす対象を、人は「好き」になると言えるのではないか。

①自己拡大欲求:まだ自覚していない自分のアイデンティティに気づきたいという欲求。
例:冒険心、探究心、ワクワク、憧れ、「こうなりたい」「ついていきたい」

②自己確認欲求:すでに自覚している自分のアイデンティティを再確認したいという欲求。
例:安全安心、居場所感、充足感、満足感、一体感、「一緒にいると落ち着く」

これらの欲求を満たしてくれるものを、人は好きになる……のかもしれない。
こう見てみると、メンターや恋人に対して抱く「好き」という感情はこの辺りからきているような気がする。最近流行りのコミュニティもこの2つのどちらかを満たしていると思う。

特にアイデンティティに密接に関わっているタイプの「好き」は、ほぼほぼこの2つの欲求のいずれかを満たしてくれる。個人的にはかなり納得感があったので、まとめておくことにする。

4.「好き」は、なんども欲しくなる

好きは、何度もなんども求めたくなる。好きな食べ物は明日も食べたいし、好きな人とはなるべく頻繁に会いたいだろう。

好きは、脳への強い快楽をもたらしてくれる対象への感情だと仮置きした。そうした、ポジティブな感情になるべく長い時間浸っていたいと思うのは、至極当たり前だと思う。

ただ、これが行きすぎると、依存症になることも。タバコが好きだからといって毎日大量に吸えばガンになりますし、コーヒーも過剰に摂取すれば、体調に異常をきたします。恋人に朝から晩までベタベタしていれば、うざがられ最悪別れを切り出されます笑

5. 「好き」は、飽きやすい

好きは強い快楽を与えてくれるだけに、頻繁に摂取するとその快感が大きく提言して行きます。

グラタンが好きだからといって、さすがに毎日3食欠かさず食べたりはしないでしょう。100%飽きます。

日本人が常食にしているお米は飽きたりしないが、あれは積極的に好きだから選択しているわけではなく、習慣化しているからこそ、飽きずに毎日食べられるのだと思う。

「好き」は非常に飽きやすいものなのかもしれません。
「好き」は、常に摂取するわけではないからこそ、好きでいられるような気がします。

先にあげた「4. 好きは、なんども欲しくなる」と衝突する形になったが、要するにバランスが大切だということなのだろう。

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以上になります。

脳科学の知識をベースに、思いつく好きに関する特徴をあげてみました。何かしら参考になると嬉しいです。参考リンクも以下に添付しておきますのでよかったらどうぞ。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!


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