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絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #30

  目次

「ジアド、ジアド、ジアドくぅん。〈親父〉就任おめでとうを言わせてくれたまえ。いやいや実にめでたい! はじめてお目にかかるが、何とも頼りがいのありそうな青年じゃないか! 〈紳士同盟〉の未来は明るいねぇ! おっと申し遅れたね、私はクロロディスという者だ。君の父上の古い友人だよ。それで、引退を決意された偉大なる先代はどちらかな? 彼とはずいぶん長いこと会ってなくてねえ。エッ、ご病気? それは大変だ! 今すぐお会いしないと!」
 射殺した。
 したが、次の瞬間物陰からまったく同じ人物が歩み出てまったく同じ調子で繰り言をまくしたてはじめる光景を前に、ジアドはさすがに困惑した。
 撃っても撃っても再出現し、床には死体が際限なく増えてゆく。爪先で突くと、しっかりと感触があった。
「ところでジアドくぅん、私は罪業場についてさまざまな研究事業を行っている者でねえ、君の罪業場が艶やかな濡れ羽色と化していることはすでに調べがついているんだ。是非ともその絶美の聖痕について観察と実験を」
 毒蛇のように跳ね上がったジアドの手がクロロディスと名乗った男の首を捉え、頚椎を握り潰さないギリギリの力加減で気道を塞ぐ。しかるのちに背後に回り込んで男の腕を取り、関節を極め、足を払って床に引きずり倒した。
 即座にクロロディスの小指に銃口を押し当て、引き金を引く。
「苦痛ですか?」
 薬指。
「苦痛ですか?」
 中指。
「苦痛ですか?」
 人差し指。
「苦痛ですか?」
 親指。
「苦痛ですか?」
「もちろん、タダとは言わないヨ? このクロロディス、吝嗇家の誹りだけは我慢ならないタチでねぇ、君が心から望んでいることを手助けして差し上げようじゃないか」
 横から喉仏を撃ち抜いた。
 次の瞬間、真横からクロロディスが囁きかけてきた。
「――その虚無を終わらせてあげよう・・・・・・・・・・・・・・
 ジアドは、動きを止めた。
「いやいや、本当のところは見ちゃいられないんだよジアドくぅん。君はこの第五大罪ワールドシェルで唯一の、掛け替えのない存在なんだ。そんな迷妄の中で苦しんでいる君を、どうにかしてあげたいと思っているんだよ私は。だって君――」
 クロロディスは、朗らかに微笑んだ。
「――妬ましいという気持ちすら抱くことができないんだろう? エッ、違うかい?」
 身を起こし、クロロディスの前であぐらをかいた。
 ジアドは快や不快がわからない。ジアドは「意味」という観念の意味がわからない。ジアドは感動がわからない。ジアドは共感がわからない。ジアドは目的意識がわからない。ジアドは――自分が、わからない。生まれてから一度たりともそれらを感じたことがなく、経験として知らず、実感として把握できない。
 ジアドが思考警察に捕まり、〈原罪兵〉に改造された際、脳幹部分に共感性を欠如させるバイオニューロンチップが埋め込まれることはなかった。
 必要ないからだ。
 養殖ではなく純正。生まれつき、その魂は人の理を外れていた。
 肉体は精査され、精神は徹底的に解剖された結果――ジアドには物理的・知能的な障害など一切なかったが、どうやらその脳髄には一般的に「意識」と呼ばれるものが備わっていないらしいということがわかった。
 その事実を抗鬱天使から知らされた時も、ジアドの胸には人々が語る「快」や「不快」の気持ちが一切わき上がってこなかった。
 ただ現状を理解し、把握しただけである。
 ただ――疑問点はあった。自分はこれまで特に問題もなく生活してきた。意識がなく、目的も持ちえない人間が、なぜ今まで呼吸し、食事をし、睡眠を摂ってきたのか。その答えだけは得られなかった。
 疑問だけが、ジアドを構成するすべてである。
「私なら、君の力になれる。君に「存在する意味」の意味を理解させてやれる」
 ゆえに、ジアドはクロロディスが差し出す手を取った。
 そうしない理由が特になかったから。

【続く】

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