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ぽかぽかする。

どうも、僕です。

最近精神がぽかぽか過ぎる!ついこないだまでトゲトゲでチクチクだったのに。

ぽかぽかしてる時ってなんだかすべてがぼんやりしている。命で研いだ刃もすっかりなまくらだ。殺すためのそれを美しいとさえ思う。そんなことを呑気に思う僕は醜い。けれどその刃を握っていた頃には、その呑気な僕を欲していたようにも思う。

なんだかとっても自給自足。青く見える隣の芝生が僕の中にある。持っているのに持っていない。手に入れたら消えてしまう。何度やれば治まるんだろう。こんなこと繰り返してたら本当に磨り減ってなくなってしまいそう!大嫌いだ。気持ち悪い。


そもそも

人は常に外部の影響にさらされて変化していく生き物だ。親や生まれた国や生きた時代はもちろんだが、偶々ラジオで流れていたただの一曲を聴いただとか、果ては実家のカーテンが何色だとかの、多くの偶然が影響した結果、1人の人が必然的に出来上がる。その人が歩む道はその人自身の選択で決定されるが、その選択の根底にあるのは当人も測りえぬ偶然なのだ!…と僕は思うんだお。

要するに、僕は人は確率的で必然的で相対的なものだと思ってる。

でもさ、悔しいんだよ。僕は、「俺は!」「俺が!」「俺だから!」って思いてえんだ。でも自分も含め人は振り子のように右へ左へとゆらゆらゆらゆら。。大嫌いだ。だから僕はその時々の瞬間を切り取った、一貫してあるものが好きだ。だから「作品」は最高だ。


一貫したソレ

僕は音楽でいうと「the pillows」というバンドが好きなのだが…いや、好きというより僕にとって彼らは気持ちの代弁者なのでもう一人の僕!って感じで好きとか嫌いとかの次元でもない感じなんだけど、一見ドロドロベタベタで鬱々しててトゲトゲチクチクしたパーソナルなものを、音楽というフォーマットに落とし込んでかっこよく仕立て上げてくれる彼らはまさしくヒーローなのだ!でもそんな彼らも「Last Dinosaur」という曲で次のようにうたってる。

そんなに見ないで
ピントずらしたくらいでいい
裸みたいな気分
浮き足立った未来に不満でも
目を覚ましていたい

そんなに見ないでって言われちゃった。ギターを握った彼らからは想像もできないような彼らも存在するんでしょう。「目を覚ましていたい」なんて、目を閉じてしまいそうだよ。ここだけでも人間を感じる。だから僕らこの曲が必要なんだ。

作品ってその時々のその人が凝縮されてる。その1人をずっと見てると、意外と矛盾してたりずるいこと言ってたりもする。それで反転アンチになっちゃう人もいるけれど、人間そもそもそんなもんでしょうって話。でもさっきも言ったが僕は人間のそんなところが大嫌いだ。だからこそ、切り取って留めた一貫したソレに心奪われる。僕は人間のそんな作品を生み出せるところが大好きだ。


僕ら振り子のようだと思う。
この振り子が振れてる限り、僕たちは美しい。そして摩擦が生まれてしまった振り子に油をさすのはキミたちのソレなんだ。


…なんて、ぽかぽかぼんやりふわふわ思う一日でした。

痛みのないタイクツに 溺れそうだ!…でも痛いのもやだ!!!!!ユラユラユラユラ



ひん


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