「ツイフェミ!」と言う前に読んで欲しい「フェミニズム入門」

 Twitterでは「炎上の8割が男女問題」と断言出来そうなほど、毎日毎日ジェンダーの話題で荒れている。その炎上を引っ張るっているのは、雑に言えば「フェミニスト」と「オタク」が中心であり、日々この2つの陣営は「オタク/フェミニストはこんな酷い/矛盾に満ちた発言してる」と相手陣営の最も××なツィートをスクショして晒し合い、それぞれに叩き合っている。

 その中でよく言われるのは「こんな発言をするのは真のフェミニストではない」「本来のフェミニズムなら××と言うはずだ」「フェミニズムは1人1派」みたいな言説だ。しかし「フェミニズム」とはそもそも何なのだろうか?どういう歴史や思想の元に成り立っている概念なのか?何となくみんな「フェミニズムとは男女平等を目指す概念である」と思ってないだろうか?(もっとも所謂「アンチフェミ」に属する人間は、フェミニズムとは女性の我がまま或いは男性差別と捉えていると思う。そして、フェミニズム側は「そのようなイメージは女性蔑視を振りまく人間達の戦略である」と言うだろう)

 その為、かなり雑にではあるが本記事でフェミニズムの歴史と思想を簡単にまとめたいと思う。

・フェミニズムの勃興とユートピア思想(1792年~)

 フェミニズムの起源に関してはフランス革命及び人権思想に求めることが出来るだろう。フランス革命や啓蒙思想家により欧州に"人権"という概念が誕生したが、ここで言われる人間は男性を差しており、女性は範疇外であった。例えば当時の啓蒙思想家であるジャン・ジャック・ルソーは「女性は感情の動物であり、男性のように理性を持つことが出来ないので、女性は男性によって支配されるべきである」と主張した。これに対してイギリスの女性作家メアリ・ウルストンクラフトは1792年に"女性の権利の擁護"を執筆した。(因みにメアリ・ウルストンクラフトの娘は「フランケンシュタイン」の作家として知られるメアリ・シェリーである)

 この「女性の権利の擁護」において、メアリ・ウルストンクラフトは「女性は社会的な抑圧を受けている。女性が理性を持たず頭が悪い(ように見える)のは男性が女性の知的向上を妨げてきたからだ。女性の教育について再考せよ」と女性にも知的教育が与えられるべき事を訴え、また「ジョン・ミルトンやルソーといった啓蒙思想家や著述家は、男性を満足させる為に都合の良い男性本位に創造された女性像を語ってる」と批判した。このような「社会的抑圧」及び「社会規範により規定された想像の良い女性像」という思想の背景には、当時欧州で流行していた「ユートピア思想」がある。

 これは当時のキリスト教の牧師達を中心に唱えられていた「権力と暴力に基づいた今の政府は、正義や幸福に反する全ての制度を温存させ、人間から自由を奪っている。このような政府は罪悪であり反自然であり、このような社会的抑圧を一切無くさない限り神の王国は実現できない」とする無政府主義の先駆けとなる思想である。この思想にメアリ・ウルストンクラフトは大いに影響を受けてる。。。というより、その思想家であるウィリアム・ゴドウィンと結婚している。正確には2人とも「結婚は社会規範によって人間の自由と幸福を抑圧する廃止すべき制度である」として、結婚制度自体を否定しているが、ともかく2人は1797年ロンドンの教会で結婚式を挙げている。(2人は私生児の差別を防ぐ為にやむなく結婚したと言われているが、結婚制度を否定したきた他のユートピア思想家にとってこれは裏切り行為を判断された)

 このような「社会の抑圧の排除によるユートピアの実現」という思想は、必然的に「では未開社会は実際にどのようなものだったか?」を論じさせる事になった。これに対しヨハン・ヤーコプ・バッハオーフェンという文化人類学者は「今の父権制社会に先んじて家母長制というものがあり、原始は女が家長とする母権制社会であった」「家族制度は男性によって作られたものであり、原始以前の社会は乱婚制度であり、人間達は乱交しまくっていた」という説を唱えた(注1)。この説は通説として広まり、そしてエンゲルスが「家族・私有財産・国家の起源」にて論じたことで、フェミニズムの「女性は社会的に抑圧されて本来の姿を奪われた存在である」という思想を固める事となった。これが現在まで続く「フェミニズムが社会的に作られた性規範及び家父長制の打倒を目指す」「女性は本来は男性と同等(以上?)にあらゆる面で強く優れた存在である(が、社会的抑圧により弱い存在として規定されてる)」という思想の背景である。

 また当時から「社会的抑圧の排除を訴えているのに女性に知的教育(という抑圧を)を受けさせる事を目標にするとは」との反論があったが、これに対してメアリ・ウルストンクラフトは「ユートピア」において人間の自由と幸福は個人の知性・道徳を進歩させる事によって成り立つという思想を元に、「社会的抑圧を排除された女性は自ら知的教育を求める。現在そうなってないのは、社会が男性に都合のいい女性像を押し付けてるからだ」と反論している。(注2)これも現在まで続く「性規範から解放された女性は旧来の男性(的と考えられていた)能力的なものを獲得する」という思想のベースになってると言える。

 「人権という概念に対する抗議」、これが最初のフェミニズムとされている。またフェミニズムなる言葉は諸説あれど、ユートピア主義者達が生み出したものとされている。

注1:現在ではこの説は懐疑的に見られている。主な根拠としては、どのような未開社会を観察しても母権ないし乱婚社会はないこと。考古学的に発見される遺跡は悉く「家族単位で生活してる」ことなど。

注2:現在ではこの説は懐疑的に見られている。主な根拠としては、先進国では「国が男女平等に近づくほど、女性は科学・技術・工学・数学から遠ざかり男女の相対的格差が増加する1方で、男女平等でない国ほど女性は科学・技術・工学・数学で男子と同等以上のスコアを上げる」という所謂「Gender-equality paradox」と呼ばれる現象が観測されている事など。

・第1波フェミニズム(1848年~)

 第1波フェミニズムは雑に言えば「西洋全体で19世紀に発生した女性の市民権を求める運動で、主に選挙権に焦点が合わせられた」と表現出来るだろう。

 この波は1般的には1848年の「セネカフォールズ大会」から始まったとされている。その大会では約200人の女性と約100人の男性がニューヨーク州北部の教会にて、エリザベス・ケイディ・スタントンという進歩主義&奴隷制度廃止運動家により起草された男女同権をうたう「所信の宣言」が表明され、女性の権利を要求する12の決議案が採択された。(尚、彼女は1859年に他の進歩主義運動家が女性参政権問題に対して、あまり力を入れていないことを理由に進歩主義を名乗るのをやめている)また聖書の「イブはアダムのあばら骨から作られた」という記述を、女性を劣等なものとみなす価値観として無条件に受け入れてはならないと主張した。

 当時の女性運動は奴隷制度廃止運動と強固に結合されており、スタントン以外の指導者も全員が奴隷制度廃止運動家であった。また黒人女性自身も運動の大きな力であり、黒人女性のソジャーナ・トゥルースやマリア・スチュワートは奴隷制度廃止&女性の権利運動において指導者層の中でも重要な立ち位置についていた。

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 しかしながら、女性運動において有色人種の女性の膨大な貢献にも関わらず、第1波フェミニズムは白人女性専用の運動となっていく。

 理由として当時の女性運動家の中で中心人物であったスーザン・B・アンソニーは「私たちは、あなたが全選挙区を全国民に与えないのであれば、それを最も賢い人に最初に与えなさいと言いたい。 知性、正義、そして道徳が政府において優先されるべきであるならば、女性の問題が最初に持ち出され、そしてネグロ(黒人)のそれが最後に持ち上げられるようにしよう」と語っている。当時の進歩主義は「古く不合理な慣習を取り除き、科学や医学や工学的な解決策を導入することで社会の効率化をはかろう」とするものであったので、頭が悪く学もない(と当時は見られた)黒人の権利を何処まで認めることは進歩主義の間では大きな温度感の差があったのだ。(注1)

 1920年アメリカにおいて議会は、女性に投票権を付与する第19次改正を可決した。とりえずこれによって第1波フェミニズムは結実したと言えるだろう。(実際には黒人女性が投票する事は依然として困難であった)

注1:またフェミニズムの人種差別は女性運動の効果的な動員ツールであり「黒人に権利を与えるなら、それ以上に知性のある白人女性は~」みたいな広告がされることもあった。また近年において、人種差別はフェミニズムの周辺ではなく中心である事も示唆されている。
http://www.racismreview.com/blog/2014/02/18/trouble-with-white-feminism/

・第2波フェミニズム(1963年~)

 フェミニズムにおいて唱えられた「家族制度は作られたもの」「今の女性像は社会により男性に都合よく作られたもの」という思想から更に進んで、1950年代に「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という思想が生まれた。

 1949年、哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールが著書「第二の性」で唱えたこの思想は、とりわけ米国のフェミニスト達に大きく影響を与えたが、このような思想の背景としては1928年に人類学者マーガッレット・ミードが刊行した「サモアの思春期」がある。ミードはサモアの少女達を観測し「サモアにおいては結婚に際し処女性重視されない」「サモアの女性は結婚に際し処女性よりも勤務倫理を重視される」「女性は奔放な性の楽しみを享受している」「性的なノイローゼの影響を受けづらい」といった事を発見した。(注1)こうした報告から当時の米国では「女性は社会的抑圧によって性の楽しみを剥奪されており、またそれによってノイローゼになっている」という思想が広がっていた。

 こうしたフェミニズム思想の中で1960年代から始まった「ウーマンリブ運動」が第2波フェミニズムとされている。米国の新聞記者ベティー・フリーダンが第2次世界大戦以降の社会における女性の鬱屈を見出し「女性は家庭に縛り付けられている。第2次世界大戦中は女性も戦時中ということで労働に従事していたが、戦後は労働需要の低下や帰還兵の就職斡旋で女性から労働が奪われた。労働によって女性が得た"男性と同じ仕事ができる"という自信が奪われようとしてるのだ」として、1963年著書「新しい女性の創造」において文字通り「女性は高等教育や労働力をもって社会的抑圧(主に主婦業ないし家庭)を破って社会進出する新しい女性像を創造すべき」と訴えた。このウーマンリブ運動は単に労働だけでなく、職場における平等や教育の権利や中絶合法化etcなど色々な方面に及んだが「中核は労働と生活である」と表現しても問題はないだろう。これは第1波フェミニズムが主に社会制度を問題視したのと好対照的である。

 また「女性的な記号の押し付け」として、ブラジャーやプレイボーイなどの「女性の客観化の象徴」とされてきたオブジェクトの廃棄運動も行った。

 第2波においては「個人的なことは政治的なこと」というキャッチフレーズが積極的に使われた。運動の立法上および法律上の結実としては、既婚女性と未婚女性に避妊する権利が与えられたことがある。

注1:現在ではこの説は懐疑的に見られている。主な根拠としては、同じく人類学者であるデレク・フリーマンがミードの調査の参加者の1人を発見してインタビューを行い、その参加者から自分は仲間と作り話をしミードを故意に誤解させたと聞き取った旨を報告したことなど。

・第3波フェミニズム(1991年~)

 3番目の波が何であるのか?それがいつ開始されたのか?まだ続いているのか?については様々な見解がある為、正確に記すことは出来ないが、とりあえず1般的には第3波の始まりは、1991年のアニタ・ヒル事件と、1990年代初頭の音楽シーンでのパンクガールズバンドグループの出現という2つの事柄に結びついているといえるだろう。

 1991年、黒人女性アニタ・ヒルは上院司法委員会の前で、当時合衆国最高裁判所の陪席判事に指名されていたクラレンス・トーマスが職場で彼女に性的嫌がらせをしたと証言した。このアニタ・ヒルの証言事件は合衆国中で所謂「セクシャルハラスメント」の苦情の雪崩を引き起こし、またこの証言にも関わらずクラレンス・トーマスが最高裁判所の判事になった事もこの現象を激化させた。

 とりあえず初期の第3波は職場のセクシャルハラスメントと闘い、権力のある地位にある女性の数を増やすために努力する傾向があった。。。と表現できるだろう。

 また90年代の初めに北米のワシントン州オリンピアから「RIOT GRRRL」と呼ばれるパンク的なミュージックを志向するガールズバンドパーティを組むブームが起こった。代表的なガールズバンドパーティとしてはビキニ・キル、ブラットモービルがあげられる。

 このRIOT GRRRLも「女性は抑圧されてる!」と主張し、アメリカ中の女性(girl)に「自由になろう!反抗せよ!」と呼びかけたが、第2波と違い「女性的」とされてきたメイクやハイヒールやガーリーネスといった記号を積極的に取り入れた。

・第4波フェミニズム(2009年~)

 第4波の始まりは、Facebook、Twitter、YouTubeが文化として定着した事から始まったと言われてる。

 これに関してオンラインでフェミニズム運動を行ってきたジェシカ・ヴァレンティは2009年に「フェミニズムの第4波はオンラインになっている」と語り、それをもって2009年から第4波が始まったとみられている。

 要するに今のtwitterやはてなといったSNSにおけるあれこれが第4波フェミニズムである。

。。。以上を踏まえたうえで、所謂「ツイフェミ」なる言葉が如何に彼女達に対する不当なレッテルであるかについて語りたい。

誤解:ツイフェミは男女平等と言いつつ、実際は男性に甲斐性を求めている。これは「男女平等」を目的とする真のフェミニズムとは言えない

事実:フェミニズムに関する主張は千差万別であるが、フェミニストが「超強力な男性」を求めている事は全世界に見られる現象である。例えばThe Adapted Mindにおいて研究者が15人のフェミニズム指導者の女性に対し、男性に何を望んでいるか尋ねたところ「男女平等」という言葉を使用したが、同時に「very rich」「brilliant」「genius」を暗示させる言葉を定期的に使用していたことから、「フェミニストは超強力な男性を望んでいる」と結論付けられている。また米国で2018年に「性差別的な男性は嫌だ!自分は男女平等的な態度を示す男性を支持する」と主張するフェミニストは実際に男女平等的な態度をとる男性を嗜好しているか?を調査した研究がある。当初は本人の申告通り、女性達は本人が自己申告するフェミニスト度(男女は平等であるべきという信念)が高いほど「男女平等的な態度をとる男性」を志向すると思われていたが、実際はフェミニスト度が高いほど性差別的な男性に魅力を感じていたことが明らかになった。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1090513804000546
またフェミニストが表面上の言葉だけではなく行動又は潜在意識において「男女平等ないし女性も男性と同等の義務を負う事を望んでいる」ことを示した研究は皆無であり、また義務を負う運動または制度を実現させたことも皆無である。というよりフェミニズムの歴史で「男女平等」が「女性への義務と責任の付与」という文脈で運動になったことは皆無である。

誤解:ツイフェミは弱者男性を罵倒したり差別したりしてる。これは弱者にも人権を保障する真のフェミニズムとは言えない。

事実:フェミニズムは最初から被差別者(女性)に「知性」ないし「能力」がある(が抑圧されてる)ことを前提とした思想であり、事実そうしたものがない(とされてきた)人間(黒人女性、障害者、特定民族等)に対する差別は正当化のものとして扱ってきた歴史がある。また実際に優勢思想と結びついて所謂ジェノサイドを支持した歴史もある。例えば日本においても大正時代に新婦人協会が「花柳病男子結婚制限法案」とし断種法制定運動をした歴史がある。
更に現代日本のフェミニスト学者も同様に優生思想の支持を公言しており、例えば上野千鶴子は弱者男性に対して「バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?」において「ギャルゲーでヌキながら、性犯罪を犯さずに、平和に滅びていってくれればいい。(中略)彼らが間違って子どもをつくったらたいへんです。」と述べている。

誤解:ツイフェミは男性向けポルノの表現規制を訴えている。これは性の解放を目指す真のフェミニズムとは言えない。

事実:フェミニズムの所謂「性の解放」運動は、あくまで「抑圧された女性の性の解放」であり「男性の性の解放」という側面は全くない。また厳密に言えばフェミニストが求めているのは「正しいポルノ表現を規定する権利」であり、フェミニズムは「男性向けポルノは女性への人権侵害」としている。歴史的にも第2波フェミニズムは男性向けポルノ本の焚書を行ってきたし、現代でも高名なフェミニストであるマッキノンは「ポルノは全女性に対する人権侵害」としている。
また現代日本のフェミニスト学者も同様に「正しいポルノ表現を規定する権利」を主張しており、例えば牟田和恵は「実践するフェミニズム」において「ポルノとは、女性が人間性を奪われ性的対象としてのみ表現されている、女性が苦痛や屈辱を楽しんだり強姦を喜んでいるかのように描かれている、乳房や膣、尻など身体の部分のみが女性の全体から切り離されて強調して描かれている、などの特徴を持つ、「絵やことばで女性の明らかな性的服従を描いたもの」であり、「ポルノは性(セックス)に基づく搾取と従属が組織的に実践されたものであり、差別的に女性を傷つける」としながら「女性たちは、「よくない性」「間違った性」としてポルノを否定し撤廃を願うよりも、そのような性のファンタジーを作り出す現実の社会経済的力関係の構造を変えていかねばならないし、ポルノ表現においてはもっと積極的・能動的に、消費者としても作り手としても、自分たちの満足できるポルノにかかわり作り出すことが必要だ。」と述べている。
それ故に所謂ツイフェミが所謂BLなどを愛好し「BLは男性向けポルノとは異なる聖なる表現である」と主張するのはフェミニズム的に全くおかしな事でもダブスタでもない。

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