サルトリイバラの味

※中学生以降の描写は時系列及び事実にフェイクをいれてます

中学生の頃、昼間は常に空腹だった。

私にはムシ君という成長期になっても親からご飯を増やされず痩せ細っていた友人がおり、私は友人のケイさんと1緒に「給食をなるべく早く食べ終わりお代わりをムシ君の為に確保する」をやっていた。しばらくの間、この試みは上手く行きムシ君はガリガリから凄く細いレベルまでは回復する。そこまで劇的に改善はしなかったが、まぁこの分なら何か健康に支障が出たりはしないだろう…と思っていたら転機は訪れた。クラスの仲良くないグループのクラスメイト、アニ君に弟が出来た結果、親は弟にかかりきりになりアニ君のご飯がおざなりになってしまったのだ。そしてアニ君の友人達は私やケイさんと同じく「給食をなるべく早く食べ終わりお代わりをアニ君の為に確保する」をやり始めた。

当然両グループは競争になり、互いに互いを敵対視するようになり、果てには乱闘に発展する。そこでケイさんが凄い勢いで暴れ回り複数のクラスメイトに結構な外傷をつけた為、話は大事になり、親や先生その他の話し合いが進められ、結果としてお代わりという制度自体が排除された。Why!?この顛末は当時から納得できなかったが、今から思い返しても謎である。

そこで私とケイさんは泣く泣く、自分の給食を少しばかりムシ君に与えるという事をやり始めた。

「な、泣くな。そ、その分お腹が減るぞ」

私は空腹で本当に泣く事が時々あった。ケイさんは、そんな私に対して「××するな。その分お腹が減るぞ」というのが口癖になっていた。それはケイさんが自分に言い聞かせていた事でもあるのだろう。この頃のケイさんは泣かず騒がず口数も極端に少なかった事を覚えている。そしてムシ君は

「あっちに毛虫がいる!」

とメッチャ元気に走り回っていた。この3人の中で1番栄養が足りてないはずのムシ君が、何故1番元気だったのかは今でも謎だ。因みに季節は冬だったので、そんな時期に毛虫がいることは虫好きならテンションが上がるような珍しい事態ではある。

「け、毛虫…フ、フランスパンが食べたい」

と毛虫からフランスパンを連想したケイさんがゴクリと唾を飲む。そのケイさんにあてられてしまったのか、つられて毛虫を見た私は思わず「美味しそう」と思ってしまった。

ヤバイ!このままだと本当に毛虫を口に入れてしまう!

と思った私は慌てて筆談用ノート(当時私は喋れなかった)にフランスパンを描きまくって気を紛らわそうとした。まぁ何か気の迷いが生じても紙なら口にいれても問題ない。そう思った私はノートにフランスパンを1心不乱に描き続けた。

「お、おい。ば、バターもなしに、く、食うのか」

とケイさんは私の手から鉛筆をとると、ノートに4角…恐らくバターを描き加えた。するとムシ君は

「僕はジャム」

と円錐…恐らくジャムの瓶を描き加える。その虫君からケイさんは鉛筆をとると

「お、お前はハムが、す、好きだろ」

と丸…恐らく私の好物であるハムを描き加える。そうして次々に思い思いの食べたい物、好きな物をノートに描いていった。

そして放課後、私達はノートを見て空腹を紛らわすのが日課になった。それを見て仲良くないグループも私のノートを見に来るようになり、それが発展していって私達は公園に移動し、そこで砂の上に食べ物を描く謎の文化を誕生させた。仲良くないクラスメイトと言えども、みんなでワイワイと「アレ食べたい!コレ食べたい!」と口にし、描いた絵を「下手過ぎだろw」「図形じゃんw」と貶し合うのは、それなりに楽しかった。

そんなある日、私達がいつも通り砂の上に食料の絵を描いていたら恐らく健常者の同じぐらいの年の集団が3人…以下団子A、団子B、団子Cとする…がみたらし団子を食べながらやってきた。餡団子だったかもしれない。とにかくベタベタするモノがかかっていた団子な事は覚えている。

何故なら団子Aはそれを私達に見せつけるようにヒラヒラ手で振った後、その手を放して地面に落っことしたからだ。当然ベタベタするものがかかっていた団子は砂だらけになって食えたものじゃなくなる。しかし団子がそんな事になっても団子Aは慌てず、ニヤニヤしながら私達にこう告げた。

「お腹が空いてるんでしょ?拾って食べれば?俺はもういらない」

初めからそうして私達を煽るのが目的だったのだろう。突然の事態に…空腹で頭が鈍ってるのもあり…ポカンとしていると、団子Aと団子Bも

「俺もいらない」「あっ手が滑った!もう食べられないなぁ」

と団子を落とした。ここに至ってようやく何が起きてるのか理解し始めた私の頭の中で「馬鹿にされてんだぞ!無視するか拒否しろ!」「それで団子が食えるならまぁ…」とプライドと空腹の喧嘩が始まる。後者が勝つまでに時間はかからなかった。何故なら私より先に空腹に負けたであろうクラスメイトが団子に手を伸ばしたからだ。その瞬間、私の頭は即座に「早くしろ!手遅れになっても知らんぞ!」に支配される。他の子達も同様だったのだろう。我先に次々に手を伸ば…す彼等より早くケイさんは団子を3つ電光石火の勢いで確保した。

そしてケイさんは拾った団子を手にニヤリと笑うと

「た、食べ物を無駄に、し、してはいけない。の、残さず食え」

と砂のついた団子を団子Aの頬っぺたに押し付ける。団子Aは思わずパッと離れ…られなかった。ケイさんは逃げようとする団子Aのほっぺを鷲掴みにして、顔を自分の方に向けさせると

「の、残すのは、ゆ、許さない」

と口に強引に団子を押し込もうとした。その様子を見て団子B、団子Cが団子Aを助けようとくるとケイさんは団子Aをパッと離して

「お、お前らも拾え。く、食え」

と落ちた団子を指さす。すると団子ABCは

「そんなの食うわけないじゃん。バーカ!noteに書けない差別用語!」

とこっちの悪口を散々に言って逃げ出した。ケイさんはそんな彼等の姿が見えなくなるまで見送ると

「お、おぃrei、ムシ、こ、この団子マジ、う、美味い!」

と迷うことなく口にした。恐らくケイさんは予めこのような事態になる事を計算していたのだろう。端的に言えば、ケイさんはプライドと空腹どちらかを犠牲にするのではなく両方とることを選んだのだ。そしてムシ君と私にも団子を1つづつ渡した。

ここで私は自分でも何故そうしたか分からない行動をする。私はケイさんから貰った団子をアニ君に渡したのだ。それはアニ君に対する同情の気持ちか、上述の乱闘騒ぎの罪悪感か、或いは砂のついた団子を食べるのが嫌になったのかは定かでないし、今でも分からない。ただその選択を直後に物凄く後悔した事は覚えてる。帰り道、ケイさんとムシ君に団子の串を怨めしそうに見てたので

「く、食えば、よ、よかっただろ、ま、間抜け」「ちょっとザラザラしてたけど美味しかったよ」

とからかわれまくったからだ。そんな私達のあとからひょっこりアニ君が現われた。アニ君は私に

「お団子ありがとう。美味し…くはなかったけど、お礼あげるからついてきて」

と細い身体で私達をこれまで行った事のない公園に案内し、そこにサルトリイバラという赤い果実をつける植物が生息してる事を教えてくれた。私は食った。美味かった。ケイさんとムシ君も食って舌鼓を打った。それほど仲良くない…通り越して嫌いっていうか敵対よりの私達に黙ってれば独占出来たであろう情報の共有に感謝の念が湧く。

「あ、ありがとう。す、少しだけ、も、貰おう」

「僕たちに別けてくれたんだもんね。あまり食べるのはやめようね」

そんな協定を結び、私達4人は別れた。その3日後、公園のサルトリイバラは食い尽くされる事になる。私とケイさんとムシ君はサルトリイバラが食い尽くされた公園を見て

「1体誰がこんな事を?」

と口に赤い汁をつけながら言い合った。(正確には当時私は言葉を発せられなかったので筆談)

それから月日は流れて社会人になった頃、その頃でも定期的に会っているムシ君からアニ君が暴行死した事を聞かされた。なんでも近くの公園でホームレスしてたら若者の集団に襲われ、散々に殴りつけられたうえで死んでしまったようである。

アニ君が殺された理由はただ1つ、仲が悪いよりだった私達にもサルトリイバラの生えてる公園を教えるような馬鹿だったからだろう。実際裁判記録等を見る限り、アニ君は他のホームレスにハウス?スペースを譲り、代わりにベンチで寝ていた事から目を付けられたということだ。

私はアニ君が殺された公園のベンチにコンビニで買った団子を置いた。ベンチの周りにはサルトリイバラが実をつけていた。その実を1つちぎって食べたみたらビックリするほど不味かった。



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