禿げは面白い

先日禿げについての投稿をした。

私は禿げと言っても、今のところは鏡で見ても自分ではよく分からないレベルだ。てっぺんから攻撃を受けているので通称「O型ハゲ」とか「ザビエルハゲ」と呼ばれているようだ。進行はそれほど早くないので気にしだしてから何年か経過しているが未だ正面からは確認できない。

ただ、歯医者の仕事は座って患者さんの口の中をのぞき込むので一緒に仕事をしているスタッフの目線からはバッチリと確認できるであろう。

美女と一緒に行った美容室では、軽くハゲについての相談をしたが、いわゆるボウズにする事はなく、刈り上げはするものの前髪などはまだまだ残している状態だ。仕上げにワックスを全体に馴染ませてトップにボリュームを持たせるようにセットしてもらった。

最後に、スマホのカメラで前、斜め、後ろと写してもらったのだが、後ろからの写真はハゲがわかるな。

ハゲが迷惑なのは、自分が気付いてないのに皆に面白い光景を見せているところであろう。

即ち、身体的なハンディであるために社会通念としては絶対に笑ってはいけない。しかし、めちゃくちゃ面白い。これが困る。

絶対に笑ってはいけない環境に置かれると、人は笑いたくなって仕方がない。

小学生の時の給食の時間に牛乳を含んだ瞬間に似ている。ココで笑ったら、口の中の牛乳を全部吹き出してしまいそうなので絶対に笑えない。このプレッシャーの中では大して面白くない変顔でも笑ってもらえる。テレビ番組でも「ゴッドタン」のマジ歌選手権のコーナーや、ダウンタウンの「笑ってはいけない」では、いかに笑いをこらえる状況を作るか。これだけで笑いの閾値を下げまくって、ほんの少しのおかしな出来事でさえも笑いたくて仕方ない状況に追い込む仕組みが整えられていると言える。

高校生の時に、窓側の座席の「やんちゃ男子」が後頭部ハゲの古文の先生の板書中、後頭部に鏡で光を直撃させたときに笑いをこらえている前席の「いじられキャラちびっこ男子」の心境を想像してもらえるとよく分かる。

この様に、ハゲいじりをしていた自分が禿げてしまったのは感慨深いものがある。

ハゲを笑う者は禿げに泣く

という言葉が今になって胸にしみる。

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