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やっほ

25歳になっちゃった。といっても昨日今日のことではなくて、もう25歳4か月くらいの中堅の25歳になっちゃった。

四捨五入したら30歳の年になっちまいましたよ。だからといって、どうということもないけれど。でも、色々考えますよ、ほんと。

結婚や出産のことについて考えるようになった。「結婚したらこうしたいなー」とか、「子どもが生まれたらどういうことを教えてあげたいなー」とか、ふと頭を駆け巡る頻度が増えた。

結婚、出産ね……したいわけじゃないんですよ、正直。それなのになぜか考えてしまうんですよね、結婚したわたしの世界線。自分が年齢を重ねてきたせいもあると思うし、周りが結婚・第一子出産したひとがぐっと増えて、いきなり現実味を帯びてきたというのもある。

結婚、いつかはするのか……?と考えるととてつもなくこわくなる。名字を変えるのもいやだ。かといって相手に変えてもらうのも、そこまでいい気持ちはしない(別姓のままだったらいいのに)。そもそもまだ誰かと四六時中同じ部屋で暮らすことすら抵抗がある。だからこそ、「もしそうなったら……」をすごい突き詰めて考えなきゃ、いけない気がする。嫌がりながらも前向きに考えてるんです。

出産もこわい。人生をただ生きるだけなら、25歳はあまりに若い。ただ、いつか来る「出産」を考えると、途端にタイムリミットが迫ってきているように感じられてしまう。「絶対に産まない覚悟」ができているならいいけれど、「産むかもしれない、産まないかもしれない」「いつか安心して子供を育て合えると思えるパートナーに出会ったら、産むかもしれない」そんな風にぐらぐら迷っているわたし。割り切れればいいのにねえ。

22、23歳の時は、「結婚はともかく、子供は欲しくない」と考えていたし、その気持ちが一生変わることがないだろうと信じていた。それでも心のどこか奥底で、「結婚しないことで、子どもを産まないことで、普通の幸せからは一歩外れる」と考えている節もあった。「結婚して、出産して、子供を育てる」という、「いわゆる普通の幸せ」。この普通の幸せの文言じたいの持つ力があまりに強大なのだ。強大すぎる。うまく伝わるか分からないけど、この「普通の幸せ」に乗っからないで幸せになるには、プラスαの「幸せ」が必要になる、という気がしてくるのだ。

例えば、Aさん(38歳)がいたとする:夫と、9歳になる子供と暮らしている。子供はわたしのことを『ババア』と呼ぶ。パートの店長はサービス残業を押し付けてくる。夫もなんだか最近帰りが遅い。先月はスーツのポケットにジュエリー店の領収書が入っていた。先月のわたしの誕生日プレゼントを買ったのねと思って黙っていたら、わたしにはケーキをくれただけだった。こころがささくれだっている。

例えば、Bさん(38歳)がいたとする:未婚。ボーナスがはいるたびに、ご褒美にささやかなジュエリーを買っている。週末は岩盤浴に行くのが好き。投資信託で老後のたくわえは欠かさない。時々、将来に不安を感じることもある。でも仕事は楽しいし、きっと数年後には昇進するだろう。部長にもそれとなく出世の意志と出産予定の有無を確かめられた。仕事は好きだ。でも、これでいいんだろうか……

どう考えてもわたしが嫌なのは「子育てに無関心なパートナー」「辛い労働環境・給与の安い仕事」「家計が苦しいこと」「浮気」なのだけれど、そしてやりたいことは「金銭的・精神的自立」なのだけれど、だからBさんのほうがどう考えても幸せなのだけれど、でも、世の中、「結婚・出産したら苦しいこともあるんだしそのくらい……」と思いがちなところ、ありません?そしてなんだかわたしも、水面下の苦しみよりも表層的な「幸せ」の烙印を自分が欲しているような気持ちになることがある。

ここまで書いていて思ったけど、わたしの心は「幸せになりたい」という気持ちと、「幸せにしていると思われたい」という気持ちのバランスがあんまり良くない気がする。よくよく考えれば、「周りがあなたのことを幸せそうだと思っているか、羨ましがられるか」ということなんて、自分の幸せにはなんの影響もないことなのに。

例えばわたしが家庭におさまって、育児に疲れて誰かを心の中で見下して「あの人は仕事バリバリのキャリアウーマンですごく稼いでるそうだけど、婚期を逃しているからわたしのほうが上だわ」なんて思っている未来を想像すると、本当に身の毛がよだつ。それが、わたしのいちばんなりたくない姿なのだ。

でも結婚せずにいたところで、「わたしはこんなに幸せだけど、『普通の幸せ』を叶えられていない……」と自分で自分の首を絞めてしまう気もする。結局はどちらも自分のこころの問題なのだから、自分でどうにかするしかないのだ。いろんなパターン、いろんな人生、なにを選んでもこころが楽であるように、わたしは本を読んだり考えたりしている。

ひとこと:フェミニズムを学んでも、つきぬけて社会から解放されることはむずかしい。

等身大の25歳

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