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ビロード革命

フェイスデザインを知って、実践してから、

これは革命かも・・・

と思った私が、
革命といえば・・と、思い出したのが「ビロード革命」です。

1989年に、チェコスロバキアで起こり、
血を流さない「静かな革命」とも呼ばれていたようです。

当時、私は、まだハタチそこそこで、
奇しくも、その前年に、チェコの首都プラハに一人旅をしていました。

その旅で知り合った、東ドイツ人の同い年の男の子が、

「西ドイツに生まれたかった・・・」

と、漏らしていたのが、とても印象的でした。

プラハで感じたのは、東欧圏独特の、
つまり共産圏ならではの空気感のようなものです。
資本主義の国とは違った、ある種の重い空気が、流れていたように思います。

反面、西の国が既に失ってしまっていた、
中世から続く重厚な世界観と雰囲気が漂っていたのも事実です。

誰しも、訪れたことのある場所への関心は高いもので、
とりわけ、私は、プラハの石畳の街並みが、
それまでに訪れた、他のどのヨーロッパの国の町よりも気に入っていたうえに、
件の青年の言葉が頭をよぎり、
チェコスロバキア国民による、無血革命には、心底感動したのを覚えています。

何万という人々が、ヴァーツラフ広場にロウソクを手にして集まっている映像が、テレビから流れてきました。
民衆の、民衆による、民衆のための民主国を、彼ら彼女たちは勝ち取ったのです。

日本で無血といえば、江戸城の無血開城が思い浮かびますが、
勝海舟や西郷隆盛という、偉人によるものではなく、

名もない、普通の人々による、無血革命というのが、
スゴイし、心打たれるし、尊敬するし・・・という気持ちでいました。

強制的な武力によるものではない、ということに、感涙します。
そのことを思うと、
今でも、体がふるえるほど、感動します。

革命というと、どうしても、血なまぐさいシーンが浮かび、
革命自体の是非はともかく、
今ある大きな力を、それ以上の大きなものでなぎ倒していく、
というのが、私が持っていた革命のイメージでした。

それが、そうではなかった・・・

チェコスロバキアのビロード革命は、
庶民の一人ひとりが、そうあるべきだと思う、
理想の、希望の、求める社会の在り方を、心から強く求めて、行動した結果でもありました。

普通の人々の力というのでしょうか、
人間が持て得る可能性の力を、
そのとき、私は、歴史のうねりのなかで、
ブラウン管越しとはいえ、目の当たりにできたことは、
とても幸福な体験だったと思います。

そんな歴史上の大事件は、
小さな日常のなかで、
コツコツと毎日続ける、私のフェイスデザインの結果と、
ほんの少し重なるようにも思えて、
まさに革命だ!と、言いたくなったというわけです。


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