父の頭を刈る

8月12日は叔父や叔母、あるいはその子どもたちがお盆休みで墓参りにくるから休みをとってくれという。しょうがないので店は臨時休業ということで事前に告知しておいた。しかしいざ当日になると「いや、みんな13日に来ることになった」という。齢80代も後半になり耳の遠くなった父が聞き違えたのかもしれない。あるいはみんなの予定が変わったのかもわからない。まあ犯人探し(?)をしても仕方がないので「しゃーないね、みんなにはよろしく言っておいて」と済ませる。

というわけで父と二人で墓参りすることに。といっても数日前に墓掃除のためにすでにここに訪れていたのだ。私なんかぜんぜん信心深くないのでそのときお参りしたらもう良いじゃん、大事なのは故人を忘れないことなのではと思うのだけど、いやお盆に来ることに意義があるんだよという。まあそういう人はそういうことで満足するのだからいちいち否定はしない。

先祖の霊が帰ってくると言われてるお盆はそれを信じる人には特別な日なのだ。お墓の前で親戚のおじさんおばさんが「父さん母さん、久しぶりだねえ、あっちでみんな元気かい?」みたいに話しかけるのを思い出した。私も祖父母や母に声をかけるとしたらどうだろう。「やぁ、数日ぶりだね」かな?それとも数日前のそれはなかったことにして「久しぶりだねえ」にすべきか、などと意味のない事を考える。


昼食にと考えていたいつもの定食屋がお盆営業で早仕舞いしてた。仕方なく回転寿司にする。田舎の一軒だけ生き残ってる回転寿司屋はいつの間にかタッチパネル型の注文システムに変わってた。父の好きそうなものを見繕って注文する。魚介類ならなんでも好きだと思ってたのだけど、しめ鯖とかホタテは食べないんだっけ、というのをここ数年でやっと知った。知ってるようで知らなかった父の側面のひとつ。思えばそれまで、父とは直接の対話はそこまで多くなかったかもしれない。言葉少ない父そして私。知ってるようで知らなかったことも多いのかもしれない。

母が亡くなって以降。父とはマンツーマンで向き合わざるを得なくなっている。それまでわかってると思ってたことでも、実はそうじゃなかったりするんだといろいろ気づく。あるいは言葉にすることで見えてくることもある。「俺のことそんな風に思ってたのか」みたいに愕然とするようなことも言われたりしたけど(笑)まだよくわからないが、少しは以前より対話出来るようになってきたんだろうか。

父のいきつけの床屋が辞めちゃったらしいので最近は私が父の頭を刈ることにしているのだけど、やや伸びてきた今回もバリカンを持参してそうすることに。庭先に彼を座らせる。左手でぽやぽやと薄い毛がまばらに生える頭を撫でる。右手でバリカンを滑らせる。左手で毛を払う。私が小さな子どもの頃はきっと彼が私にそうしてくれたんだろうか。思えばいま父と私が肉体的な接触をするのはこういうときくらいなのかな。

頭の中身では何を考えてるのかは100%わからないけど、この後頭部の形はまごうこと無く私の知っている父の頭の形だなぁと思いながらそれを指で確かめたりしながら。そもそも全体的な毛量が少ないのであっという間にこの儀式は終わってしまう、それが多少名残惜しかったりもするのだけれど。


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