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「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ」

渋谷と新宿。2つの街で繰り広げられる物語を満たすのは、ステレオタイプの“都会の孤独”だ。


最果タヒの詩集を原作にした映画『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を観た。

ガールズバー、日雇いバイト、工場でつくるお弁当、人身事故、死の影、歌えないカラオケ。

正直、こういう都会の描かれ方はちょっと飽きた。けどやっぱりこれが東京だ、とも思う。


都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。


映画の中(正確に言うと、原作の詩集の中)のセリフだ。

東京はくだらなくて寂しい街だ、とみんなは言う。じゃあその寂しさは誰から、どこから生まれてくるんだろう。


映画の帰り道でコンビニに寄った。もらったレシートを、すぐに不要レシート入れに捨てた。そのとき、ああこれかもしれない、と思った。



生きていくことは、きっと小さな罪悪感を積み重ねていくことだ。

インド人らしきお兄ちゃんが配る、カレー屋のチラシを無視する。駅でトイレ掃除をしているおじいちゃんを横目に、磨きたての個室に入る。ファミレスで、自分の母親くらいの年の店員さんをボタンで呼び出す。路上で寝ている人の真横を、友達と談笑しながら通りすぎる。

その瞬間、ちょっとだけ、「ごめんなさい」と思う。それはあってもなくても変わらない無駄な同情で、勝手に人を見下す私の奢りだ。

その事実にもう一度、「ごめんなさい」と思う。ちょっとだけ反省して、表面だけいい人になろうとしたりする。


「ごめんなさい」と言うまでもなく押し込められた黒い何か。東京には、他の街よりもそれが少しだけ多く集まっている。

それがいわゆる、“東京の寂しさ”を構成しているのかもしれない。


だけどそれはつまり、みんなどこかで「やさしくなりたい」と思っているからで、
その矛盾は愛すべきものかもしれなくて、
だから私は、「都会を好きになった瞬間自殺したようなものだ」とは思わない。

今のところは、思わないことにする。

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