“Do”と“Be”、2種類の自己肯定感について

久しぶりに暑かった。こんな暑い中、常駐先に行き、もくもくと仕事をこなし、時間通り保育園のお迎えに行った自分を讃えたい。今日も頑張ったなあと思ったので、帰り道にコンビニに寄って、大好きなチョコモナカジャンボを買って帰った。今、アイスを食べながらこれを書いている。至福。

かたや、みーさん(夫)は、ちゃんと朝起きて会社に行って働いて帰ってきて夕飯まで作ったにも関わらず、「今日何もしてないなあ」と言ったりする。えええ?と思う。むしろ、何をすれば「何かした」ことになるのだろう。


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私は、自分に甘い。

すぐ“自分へのごほうび”を買う。1日を終えて寝る前には、だいたい「今日も頑張ったなあ」と思う。周りから見たらたいして頑張ってなくても、そう思う。

…と言うと、自己肯定感の高い人間に見えるかもしれない。だけど、断じてそんなことはない。

サラサラの髪と二重まぶたに生まれたかった、という中学生レベルのものから、もっと賢ければ、文章が上手ければ、もっと話し上手だったら、もっと意志が強かったら……と、日々嫉妬と落ち込みにまみれている。自分のことが好きかと聞かれたら、即答できない。


それで、思ったのだ。

自己肯定感は、「“Do”によるもの」と「“Be”によるもの」の2種類があるのかもしれない。

そして私は、Doの自己肯定感が高く、Beの自己肯定感が低いのかもしれない。


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Doの自己肯定感は、自分がとった行動に対して生まれる。朝早く起きられた、仕事をいい感じで進められた、筋トレした、ごはんを作った、掃除した、だらだらした、疲れたのでひたすら寝た……そんな自分の行いを、「よくやった」と褒められることだ。

Beの自己肯定感は、自分の存在自体に対して生まれる。自分の顔や性格が好きとか、自分の能力に自信を持っているとか、そういうものだ。


私はBeが低い。だからこそ「こんな私だからこのくらいできれば上出来か」という感じで、Doが高くなる。いかにも大成しなさそうな性格だなあ、と思ったりする。(と思うのも、Beの低さゆえかもしれない)

逆に、Beがめちゃめちゃ高く、Doがめちゃめちゃ低い友人もいる。自分のことが大好きだと言いながら、仕事や今までしてきたことの話になると、「あんなの誰にでもできる」「全然たいしたことじゃない」と、突然自分を卑下しはじめる。彼女がやってきたことは、運と努力と才能のなせる技だと私は思っているのだけど。


きっと、両方が高いというレアな人もいる。そして両方が低い人も、たぶんたくさんいる。どちらか一方がちゃんと高ければまあいいかとも思いつつ、やっぱり土台はBeで、その上にDoがあるような気もする。Doの上げ方とBeの上げ方、それぞれのセオリーがあるんじゃないかなあと思ったりする。またゆっくり考えたい。


眠いー。おやすみなさい。

あしたもいい日になりますように!