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個性なんて、受けてきた影響の配合比率で勝負するしかない

友人Iさんの話。

Iさんは学生時代、「自分は誰かのコピーだけで構成されていて、個性がないんじゃないか?」と悩んだらしい。私から見れば、ことばの選び方や醸し出す雰囲気に、“これはIさんっぽいなあ”という揺るぎない個性を感じるのだけど、まあ彼的にはそうだったらしい。

たとえばそのとき読んでいる小説に考え方が寄っていったり、音楽の趣味が友達に似てきたり、という感じ。それを先輩にぽろっとこぼしたところ、返ってきたのがタイトルのことばだったそうだ。

オリジナルの考え方とか、自分だけのセンスとか、そんなものは幻想だと。物語から拾ったことばや、小さい頃食べた料理や、恋人の口ぐせや、雑誌で見た髪型や、憧れの人を真似した香水や、そういうものをツギハギしてできあがったのが自分で、それ以上でもそれ以下でもない。
自分という存在が何かしらの影響で形作られるのは当然で、個性とはつまりその配合比率のこと、(うろ覚えなので、ちょっとニュアンスが違うかもしれないけれど)


という話を聞いて、なるほどなあーと思った。

たしかに、私のオリジナルなんて何ひとつない。椎名林檎みたいなショートにしてください、と美容師さんにお願いしたり、村上春樹の小説を読んでベーコンと目玉焼きを焼いたり、憧れの先輩のホチキスの止め方を真似したり(脇をきちんと閉める仕草がとてもきれいだったのだ)、好きな人が読んでいる本を買ってみたり、誰かのコピーだらけだ。

しかも、私がコピーしている人たちも誰かのコピーなわけで、つまり私は誰かのコピーのコピーのコピー……でしかない。

だけど、たとえば谷崎潤一郎と志賀直哉と太宰治に影響を受けた物書きが2人並んだとしても、その2人は同じ文章を書けない。ツェッペリンとボウイにどっぷり浸かって生きてきた2人のバンドマンから、全く同じ音楽2つは生まれない。クリムトとピカソとモネに影響を受けた2人の画家が、全く同じ絵を描くことなんてない。

共通項はあるかもしれないけど、それぞれの2人が完全に同じになることなんて、ありえない。

考えてみれば当たり前の話なのだけど、「個性」ということばを聞くとつい、影響を受けずに自分の中から生まれたものを見つけなければ、と思ってしまう。
これまでに受けてきた膨大な影響の配分でオリジナルを形作っていけばいいんだな、と発想を切り替えるだけで、なんだかゆるやかに生きられる気がする。

だからこそ「誰から影響を受けたいか」というのはすごく大切で、じゃあ私は誰の近くで生きていきたいかな、と考えてみると、自分が居たい場所はけっこうハッキリ見えてくるものだなあ。

と、そんなことを考えたのでした。

おやすみなさい。

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Chihiro Bekkuya

いつも迷子です。

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