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青春をポジティブに終わらせる

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この前、学生時代の同級生から、「永遠の中二病」というありがたい称号をいただいた。

どういう意味だ、と詰め寄ってみたら、どうやら「モラトリアム」の意味合いが強いらしい。(彼は必死に「悪口じゃない」と弁解した)

これは納得せざるを得ないというか、つまり私の青春時代はずいぶん長いということだ。

「青春」の定義にはいろんな考え方があると思うのだけど、私は「自分のことだけ考えていればいい時期」のことだと思っている。

コンプレックスのこと、恋のこと、進路のこと、周りを取り巻く人間関係のこと。自分のメリットデメリットをすべての判断軸にしても許される時期。「やりたい」「やりたくない」を行動の理由にしても許される、貴重な時間だ。

そしてそういう時期は、実はそんなに長くないらしい。

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「自分一人のためだったらAを選ぶけど、そうじゃないからBを選ぶ」

そうやって判断をくだすようになった人たちを、間近で見る機会の多い1年だった。かつては「やりたい」「やりたくない」を理由にして、一緒に突っ走ることができた人たちだった。

あのときはそういう状態こそが、無敵だと思っていた。

守るものがない人の振り切れ感には絶対に勝てないし、それが世の中で一番強いと思っていた。だけど、守るものがある人の強さが、“自分だけのためならAを選ぶ”人があえてBを選ぶ強さが、とてもとても尊いことを知った。それに気づいた1年だった。

そんな1年を経て、青春を脱出したい気持ちになったのだ。なんなら、青春が「終わる」よりももっとポジティブな言葉で表現できそうな気がした。

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結局何をしても主語が“わたし”であることは変わらなくて、そういう意味では誰でも自分のために生きている。

だけどたとえば、自分にとっての生きやすさを追究することが、誰かの生きやすさにもつながるように。感情の掃き溜めではなく、誰かにとって意味のある文章を書けるように。

やりたいことはまだまだたくさんあるし、もっと全力で走りたい。だけどそのエネルギーが向かう先を、少しだけ自分以外の誰かにできるように。

2017年は、そんな感じで生きていきたい。

あしたもいい日になりますように!