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Suicaの残高に見る人生

駅に着いて、かばんからSuicaを取り出す。改札に「ピッ」とタッチする。

それだけの行為にいろんなドラマや個性がつまっている気がして、あの瞬間がけっこう好きである。


まず、タッチの仕方。

ほわっとした雰囲気のお姉さんがバーン!!とSuicaを叩きつけていると、見てはいけないものを見てしまったようで、ひゃあ!となる。すごく辛いことがあったのかもしれない、日々何かしらの抑圧に耐えているのかもしれない、とちょっと心配になる。逆に、ヤンキー然とした若い子がやさしいタッチで改札を通過するのを見ると、なんとなくうれしい。

そして、私もまだまだ人を見かけで判断しているんだなあ、だめだなあ、と反省したりする。


Suicaの残額にも、その人のキャラクターが現れる。

きちっとスーツを着た女性のSuicaの残高が「7円」だったのを見て、好きになりそうだった

ある友だちが、そんなことを言っていた。

前を歩く人に続いて改札を通ろうとすると、はからずも前の人のSuica残額が見えることがある。その友人は、たまたま前を歩いていたお姉さんの残高を盗み見て、「しっかりした感じなのにSuicaの残額に無頓着」というギャップにときめいたらしい。

たしかに、強面の上司のSuica残額が「3円」だったら、ちょっと好きになるかもしれない。


逆に、前を歩く人の残額が「10050円」だったりすると、すごいなあ、この人は10000円をチャージできる側の人間なんだなあ、と尊敬の気持ちがめばえる。時間にも余裕をもって行動していそうだし、真面目に貯金もしていそうである。

私は社会人1〜2年目の貧乏がまだ体に染み付いていて、Suicaに3000円以上をチャージすることができない(落としたらショックだし)。飲み会帰りに「残高不足」の赤いランプにひっかかるたび、1000円や2000円をちまちまチャージしている。

一方で、スリルを求める性分でもあるので、残額「327円」くらいの微妙さが一番燃える。このままチャージしないでどこまで耐えられるかな? とチャレンジしたくなり、改札を出るときのどきどき感もまた一興である。


それから。残額がたまたま自分の生まれ年になるとうれしい。「123円」「777円」もうれしい。ぴったり0円になったときも、言い表わせない快感がある。

「1129円」だったら、今夜は肉が食べたいなあと考えたりするし、「805円」なら8月5日生まれの元恋人を思い出したりする。


そんな感じで、改札を「ピッ」とする瞬間は、いつもちょこっとだけ心が動くのである。定期の期限が明日だったので、更新しなきゃなあ。

特にオチはないです。

あしたもいい日になりますように!