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失恋の処方箋(いつかの日記の加筆修正)


失恋の威力はすごい。仕事がある、家族がいる、友達もいる、でもたかが恋一つ手放しただけで、自分の存在価値が0になったみたいに思える。

立ち直るために、誰しもいろんなことをする。占いに行く。お酒を飲む。買い物をする。悲しい映画を観る。「彼氏 別れた後 連絡」でググる。ダサくてみじめで不毛で、だけど必死にいろんなことをする。


それで、いろんな方法はあるけれど、私はこれがいいと思う。

好きだった人のために使っていた時間やお金を、他の誰かのために使うのが、いいと思う。


どうでもいい人じゃなくて、特別に大事な人のために使うのがいい。離れて暮らす家族に手紙を書いてみるとか、友達に料理を振る舞ってみるとか、ちょっと奮発した誕生日プレゼントを選んでみるとか。

「そんな動機で始まる“誰かのため”は偽善だ、押し売りだ」なんて言う人はほっとけばいい。だってこっちも必死なのだ。「自分のためにやったことで、結果的に周りの人もちょっと喜んでくれた」でいいのだ。


何もしていないと、何が悪かったんだろうとか、今何してるんだろうとか、不毛な自問に埋もれてしまうから、よくない。答えの出ないことをぐるぐる考えていると、自分自身のことを嫌いになってしまう。

でも、「誰かのために何かができた自分」を、私は絶対に見放さない。偽善に少し心は痛むかもしれないけど、それでも、自分を大嫌いにはならない。

ネイルやら美容院やらファッションやらの自分磨きもいいけれど、そんなの持続期間が短すぎる。でも、「あの人が喜んでくれた」という事実が支える自信はきっと、長くじんわり心に留まる財産になる。


それで、「足りないもの」じゃなくて「今あるもの」が見えるようになって、いつか、「あの頃さあ」と笑って言えるのだ。そうやって必死に起き上がった先の世界は、今よりもずっとやさしくて明るいよ。


おじさんはいろいろと手相を観てくれた最後にこう言ったんです。手相観の人間がこういうのはおかしいけど、自分の手相ばかり気にしてる人って不幸になるんだよって。自分のことばかり考える人というのはそのぶんだけ心配を抱え込むということだから。だから手相ばかり観てもらうような自分から卒業しなきゃあね。そして自分のことより人のことを考えなさい。生きる勇気が湧くからって。
(藤原新也「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」)

あしたもいい日になりますように!