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団地と駄菓子と1000円札と


他人の中に眠る“寂しさ”が、ときおりふと見えることがある。

普段は海の底のタコ壷みたいに、深い場所でじっとしている寂しさが、何かの拍子に皮膚のぎりぎりまで浮上してきて、外から見てもぼんやりわかるほどに薄く発光する。

はじめてそれを見つけたのは、10歳のときのことだ。


***

4年2組は、いわゆる「学級崩壊」の一歩手前のクラスだった。

主犯格の1人は、Kという男の子。授業中に大声を出す。暴言を吐く。教室内を走り回る。ガスストーブのコードにカッターで穴を開けようとして、先生が鋭い声で制止した瞬間を、私は今でもよく覚えている。

Kにはなるべく関わりたくない。クラスの誰もが静かにそう思っていて、それぞれがそれぞれのやり方で、彼と距離をとった。


だけどKはたびたび、うちに遊びに来た。チャイムが鳴り、母が出る。私の部屋に来て、「またKくん来てるよ」と呼ぶ。私は少しだけおしゃべりをしてすぐに切り上げたり、他の子と遊ぶ約束があるからと言ったり、なんとなく距離をとろうと試みた。

なのにある日、私は誘いに乗って、Kの家に遊びに行くことになった。どうしてだかその日だけ、一緒に遊ぼうと思ったのだ。他のクラスメイトに見られませんように、と願いながら家を出て、Kの家まで歩いた。

Kは、他の多くのクラスメイトがそうであったように、学区の端にある大規模団地に住んでいた。東京湾を埋め立て、その上に均等に団地を並べて発展した街。「昔はここも海だったんだよ」と、よく母が言っていた。


Kの家に到着し、玄関を上がると、四畳半ほどの小さな部屋にKの父親の背中があった。私が「こんにちは」と声をかけても彼は振り向かず、丸い背をこちらに向けて座り込んだままだった。

いや、もしかしたらKの父親は、振り向いたのかもしれなかった。振り向いて、笑って「こんにちは」と言ったのかもしれなかった。だけど私の頭に描かれた記憶は、カーテンで西日が遮られた薄暗い畳の部屋と、丸く縮こまった背中だけなのだ。

Kと私はその隣の部屋で、しゃべったりぼーっとしたりしていた、と思う。しばらくして、Kを呼ぶ父親の声がした。呼ばれたKはふらっと父親のもとへ行き、すぐに戻ってきた。

「これで菓子買えって」

Kの手には1000円札が握られていた。


そのあと2人で近所の駄菓子屋に行った。私の家では、駄菓子屋に行くとき100円しか持たせてもらえなかったから、1000円でどれだけのお菓子が買えるのかと思ったらわくわくした。だけど駄菓子屋で1000円を使い切ることはできなかった。

それから商店街の中にある雑貨屋に行った。Kは私に、キャラクターが描かれたメモ帳を買ってくれた。お店のおばちゃんが、「買ってあげるの?かっこいいねえ〜」とKを茶化した。


私は、買ってもらったメモ帳を見て、ああこの人は寂しいのだな、と初めて思った。どうして教室であんなことするの、とは聞かないことにした。Kは今、暴言を吐かないし暴力もふるわない。それでいいじゃないか、と思った。

もちろん当時はそんなふうに言語化できなかったけれど、寂しさと呼ばれるものが柔く光るのを、私はあの日に初めて目にした。そして私はKを、「かわいそう」だと思った。

あの子に必要なのは1000円札じゃないでしょう。10歳の薄っぺらい正義感が小さく燃えた。誰に対して?たぶん、Kの父親に対して。思ったけど、言わなかった。

その日のことを、クラスの友達には話さなかった。話すまでもないことだと思ったのか、話すべきじゃないことだと思ったのか。よく覚えていない。


Kは5年生に上がる前に、別の小学校へ転校していった。転校の理由を私は知らない。たぶん、誰も知らない。


***
この前久しぶりに地元を訪れた。
子どものころよく遊んでいた公園では、小学生がドッヂボールをしていた。あの頃のKと私と、同じくらいの歳だろう。


ときどき、あの夕方に見たKの父親の背中みたいな寂しさを、小さな手に握られた1000円札みたいな寂しさを、誰かや自分の中に見つけることがある。

寒くなると、それがいつもよりくっきり見える。だからと言って、その扱い方を、私は未だに知らない。昔みたいに、それを「かわいそう」だとは思わないけれど。

たまにはみんな、ちゃんと誰かの前で泣いたりできたらいいなと思う。誰に向かってなのかよくわからないけど、そう思う。


あしたもいい日になりますように!