東京タワーが消えたあと
東京タワーを見るといつも、「東京タワーの最期」を想像する。
高校生のとき、古文の先生から「諸行無常」ということばを教わった。
形あるものは、いつか消えてなくなるらしい。
土に還って、また違う形で生まれて、廻って、を繰り返すらしい。
じゃあ東京タワーはいつまで生きるのか。
どうやら平成は30年で終わるらしい。
時代がひとつ動いて、昭和生まれの私はちょっとだけ、「歴史」に近づいてしまう。
そうやってものごとはゆるやかに変わって、朽ちていくらしい。
雨にとけて消えていくもの、錆びてザラザラと風の一部になるもの。
そんなふうに自然の流れで消えてなくなっていくものは、もはや少ない気がする。
鉄筋コンクリートのビルたちが自然の摂理に従って消えていくには、壊すか壊されるかの過程を踏まなくてはいけなくて、
じゃあそのタイミングは一体いつ訪れるんだろう。
東京タワーは壊れるんだろうか、壊されるんだろうか。
ミサイルが落ちるんだろうか。時代の流れとともに不要になって、解体されるんだろうか。あんなに大きいものを崩していくことなんてできるんだろうか。いずれ「東京タワー跡」という遺跡になるんだろうか。
私が生きているうちではないにしろ、東京タワーが消えてなくなる日がいつか来る。そのときに私の体は何に変わっているのか、今部屋にある本たちはどうなっているのか、このパソコンやテーブルや冷蔵庫は一体どうなっているのか。
この日記だって、一生忘れたくない思い出だって、ささいなことだ。
勇気を出して書いた手紙も、酔っぱらいの戯言も、人生で一番おいしかったごはんも、寝ないでつくったプレゼン資料も、おそろいで買った指輪も、東京タワーが消えた世界には1ミクロンも残っていない。儚すぎてかなしくて愛しい。
意味もない、ささやかなことを繰り返す自分はみっともなくてかわいいし褒めてあげたい。消えてしまうとわかっているものたちだからきちんと味わいたい。
だから明日もちゃんと朝を迎える。
早起きできたら卵焼きをつくりたい。冷蔵庫にあるカステラも食べたい。それからお気に入りのピアスをつけて出かけるのだ。
あしたもいい日になりますように!