家=環境関数 人=変数

オバマ大統領がHirosimaに現職大統領では初となる訪問を果たしHibakusyaたちとパトスを分かちあったことで、人類の罪をひとつ精算することを果たした。同時に消費税増税見送りなどを含めた官邸の動きも6月1日にむけて一挙に動き出したのだ。

実は、

そんなことどうでもいいのだ〜〜〜〜〜(^_______^

研究だけしたい人間にとって、研究のほうが人類の未来を考えているので、逆に、研究の邪魔になっているような事柄、たとえば、消費税増税など。消費税増税がなぜ研究のさまたげになるのか、「意識の拡張」という独自Methodを使って説明すると、それはもはやオカルトの世界なのだ〜が、どーも人類全体の意識が、研究する際に、結構、邪魔だったりするので、最近はそっちの対策を迫られている、それしかすべはない、寝るしか無いみたいな境遇にあっちまって、これはどげんとせないけんばい、と思い立ったわけけんね。


ということで、「経済政策で人は死ぬのか」という本の参考資料がことごとく見つからない、理論の構築ができない、ので、すったもんだしているのである。公衆衛生学という学は、それまでしらなんだし、興味あるけど、もういいよ。

最終的なtheoryの構築は、家機能が果たして、自然状態と社会契約と関わってくるのか?というところである。

今、Kindleにぶち込んでいるサンプル書は、ルソー「社会契約論」ロック「なんとか市民」アダム・スミス「道徳感情論」ホッブス「なんとか」ウィトゲンシュタイン「なんたらかんたら」などであ〜〜〜る。

なぜか、ウィトゲンシュタインがぐっときてしまっているのですが

まあだから、人間は環境に対応するが、家という環境にも対応する。

あの本には、家がボロ家だと、腰痛の原因となったりする、とかも書いてたのだ。それは腰痛という病を表現として、家の構造を、身体で表現、内部表現として表現しとるのだ。

というところで止まっているのだ。ぜんぶ雪のせいだ。


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