My Mortagege House IS Home

つまり現代の家の形は、これも人間と同様に、近代以降に捏造されたということだ。近代により、職業を分業させることで、同じ時間帯に、同じ共通の会話ができないなど、その孤立化の担う機能が現代型Houseにあるはずだ。

社会学者Miyadai.com氏は、かつての長屋の町並みには、会話をすることができる、軒並みがあった。そこで、ちょっと散歩がてら、隣の家の軒下でひなたぼっこをしていると、あら、こんにちわ、どうぞ一緒にお茶でもいかがですかみたいな感じで、コミュニケーション的自由があった。ところが、80年代からテレクラに代表されるような、性の性急な性癖化が起こり、ひとりの部屋というものが、権利として与えられた。これにより、神聖ローマ帝国の修道院で行われていたような「性の萌芽」が勃発。カトリックの修道院は密室だ、密室がゆえに、人間の内なるリピドーに正直にならざる負えない。

80年から、ビニ本というエロ本文化、など、もはや匿名の個人と個人が繋がていく時代へ以降すると共に、全てが代替可能なものに成り果てる。

そこからクラブや、インターネットというのも同じような感じはあると思う。が、これは違っている。全てが代替可能な為、無記名の私という状態で、居場所Homeがある場所、それがクラブやインターネットであった。これを宮台氏は第4空間と名付けた。

さて、Homeは所有であるが、所有というのは個人のものだけではないはずだ。たとえば、学校のある学年が所有するトロフィーや勲章など、共同体においても全体の所有というものがある。

しかしながらサブプライムローンで一番活躍したmortgage housingには、そんなの一切関係ない。とりあえず金を払わせるだけの牢屋に近いものを購入させている。そこには地域が共同で所有する社会的資本みたいなものは、一切ない。あるのは保険会社と弁護士くらいだ。他のHouseに住む住民と仲良くするには、せいぜい州法にひっかからない程度に、BBQでもし、EDMを楽しみ、湖でBBQしながらEDMでも楽しむしか方法は無い。どれもが企業が用意した娯楽だ。娯楽は、決して娯楽の範囲からはみ出てはいけない。じゃないとそれは・・・・・・・・・・・

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