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スタディーノート2 教職者

「シットウェ滞在2日目を終えて」
 9月6日(金)午後9時。とうとう2日目を終えた。今回の滞在で大誤算であったのは、未だミャンマーが雨季の時期にありスコールが頻発することだ。外にさえ出れないのである。ましてや高価なカメラを持ってなど。何か対策を考えねば。来月からは雨天の日が少なくなるらしい。
  この二日間でロヒンギャ国内避難民キャンプへは入り口まで行ったものの、警察の目がなかなかに厳しいため長居はせぬよう気をつけている。そのため現在のところ、話を聞くメインとしてはアラカン人たちとなっている。初日の記録にも書いたように彼らはマジョリティのビルマ民族と異なるエスニシティを持つという理由で冷遇されるポジションにある。職探し、旅行、ビジネスなどあらゆる側面で。特定の団体名を出すのは控えておくが(許可もとっていない)、あるアラカン人の有志団体のメンバーは、こう言う。
 「ラカインの地には教育が必要だ」。教育が充実していないために将来選択の幅が狭まり、お金の稼ぎ方を知らずに現状を受け入れてしまうということである(裕福な家庭で大学に通えるものは別である)。さらにその現実に重くのしかかるビルマ民族との比較なのである。まさに負のスパイラルと言える。
 
 言論の統制もまた深刻な状況である。彼が教育を重視していることを知り、教師に話を聞こうと思い立った。ただこの地域に教師の当てなどない、と途方に暮れかけた瞬間、前回の滞在の際ある小学校で食べ物をもらったことを思い出した。その教師もまた従業員と同じように日本の貧乏学生のことを覚えてくださった。まさに僥倖である。何気なく滞在した前回と意識的である今回がどこか繋がっているようで高揚した。
 
優しい声と瞳を持つ彼に教育と民族継承について尋ねた。北部で起きている衝突やアラカン人の置かれている状況を子供たちに教えること、発信することは逮捕される理由になりうるという答えが返ってきた。少し沈黙してしまうと横の雨よけのビニールが風で轟音を立てた。自らのポジションを気づく機会をも奪われつつある。
 
とはいえ彼自身も政治的なことを生徒には教えたくないという。「僕は教師であり、政治家じゃない。勉強しか教えない」。教職者としてのスタンスを貫いている。その言葉は言論が統制されているとはいえ、真実であろう。学校の様子を見れば一目瞭然なのだ。生徒たちが作ったと思われるクラフトワークの展示に溢れる様、一つ一つ手作りの教材たちが全てを物語っている。彼が生徒に注ぐ愛情を懐かしく、愛おしく、羨ましいと思えた。彼らが自らのアイデンティティを誇りに思えば思うほど、立場がなくなっていくと思えばなんと理不尽なものか。とはいえ、彼らが2017年8月にロヒンギャの人々を襲ったような激情を抱くこともまた事実である。国内避難民キャンプに居住する人々を“Refugee”と呼称するほどアラカン人にとってロヒンギャは外から入ってきた者たちと定着しているのだ。また会話の中で相手を茶化す時に「ムスリム」とも言ったりする。自分たちのエスニシティの強さが排他的な感情を湧き上がらせるのだろうか。
そんな混沌の渦巻く構造の地に海を隔てた場所で暮らしを送ってきた私は身を置いていると気付かされる日々である。

写真・2日目の終わり。フロントマンたちにビールを誘われた。ジョークの好きな二人である。

#ミャンマー #日記 #スタディーノート #シットウェ #ラカイン #雨 #雨季

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