機を見るに敏 ㋺

辺見庸氏は、産れ育った環境が「在る」と仰る。その意味は?恵まれた環境と恵まれない環境が「在る」となる。結局、自分は恵まれた環境に[在る」と思う人と、自分は恵まれない環境に「在る」と思う人の2種類。もちろん、辺見氏は恵まれた側に「在って」、自分(辺見庸)が恵まれた産まれ育ちなのは仕方ないことなんだと弱い人たちに嘯(うそぶ)いてらっしゃる。

その氏の姿勢からは社会的弱者への心遣いが感じられない私。社会的弱者は世を拗ねる訳にいくまい。社会的強者は日頃の想いを代弁してくれたと辺見氏を褒めそやしたいだろう。哲学学を楽しんでらっしゃる方々は己が意を得たりと愉快がるだろう。只、真っ当な哲学の徒だけはその無慈悲な姿勢は駄目とする。世界には四者がゐて真っ当な反応は真っ当な哲学の徒からのみ。

こう導かれてくる結果、辺見庸氏を哲学者と見做さない私の根拠をあなたにもご理解いただけただろうか? 四者がゐて辺見庸氏は社会的弱者でないのは明らか。そうすると氏は哲学学を楽しむ一人、あるいは社会的強者の一人と私は結論づけることになる。さて、名実ともに社会的強者でありたい人を日本社会で多く見かけるが、最強を目指す辺見氏だと私は思っている。

強者の条件を考えてみる。体力と知力には素質が深く関わるが、育つ環境の及ぼす影響も見逃せない。戦争末期に産れた辺見氏に栄養失調の経験はないだろう‥と言うのは母乳もミルクも知らずに育ったなら筋肉も骨も内臓も充実せず、体力が続かなくて何かと他者に後れを取る。世界を股に掛けた活躍をすべき職業や肉体労働は制限され、弾かれることになりそうです。

特別に裕福な環境とまでは言わないが、食うや食わずの乳幼児期を過ごした人たちとは最初のスタート時点から異なる。体力に知力が伴うとは言わないが、体力がなければ知力をアップする努力に陰りが出るのを否めず、だがこれは努力で補える。何にせよ辺見氏の知力はドナタもご存じのとおりで、申し分ないほどに引き出されて見える。いやいや、羨ましがっても仕方ない。

体力・知力が充実した好青年が社会的強者(=出世街道)を目標に船出する。世界は氏の眼前に洋々と広がっていた。そうであれば辺見氏は恵まれたスタートを切ったという事になる。そんなエリート社員が人生につまづいて転がり落ちてくる話はよく聞くが、人生は前向きに取組めば何てことないと捉えている現在の辺見氏の心境だろうなあ‥私の感性には氏がそのように映る。

ここで社会的弱者の多くはどんなだろう‥考えておきたい。今の辺見氏の位置を高嶺の花と思いたがっている人たちのことです。辺見氏には現状はどん底かも知れないが、体力なく学ぶ機会も得られずに這いあがる手段も見えない人たちは多い。そういう弱者の居場所とも言えない暗闇も「在る」のだろう。暗闇を照らすには強者が身に着けた灯かりが役に立つだろうなあ‥。

いっぽう、弱肉強食の世界では機を見るに敏なエリート戦闘士が強い子分たちを引き連れてどんどん先へ進んでいくだろう。強者の前には二つの道がある。今私たちはその交差路にいて、さて、機を見るに敏なる辺見庸氏はどんな号令を掛けてくれるのか‥理解しにくい難解な号令でなく、誰でも聞き取りやすい号令が落ちこぼれたくない私のためにも嬉しく思えるのです。

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