反ベキ論

インターネットでベキ論を検索してみました。そうするとベキ論の論調は駄目だ‥のような所謂「反ベキ論」を佳(よし)とする人が結構いらっしゃる気がした。それで思ったけど、これ等の反ベキ論者は「反ベキ論 ベキ論」と想い込んでいるのを感じたのです。あなたはいかが思われますか?

これ等の人は「‥すべきでない」を「‥しないべきだ」と言いなおすことは有得ないと言いたいのだろうか?「しないべきだ」はベキ論でないのか?だから、反ベキ論者はどこでどう道を間違えたのだろうか?私は思うのですけど、反ベキ論者は日本語の認知力が衰えてきているのでないのかな?

問題は認知力の弱さにあるのではないと想う。私の認知力は弱いし、そんな私とかれ等との違いはナニかと云うと私は認知力の弱さを自覚していて、かれ等は認知力の弱さを自覚しないに留まらず、それどころか己はベキ論者に優れると世間に認めさせたいのかも知れない‥そんなことを思った私。

ベキ論大好きの私であれば、そういった好い加減な反ベキ論に振り回されたくなくて、更に私はベキ論を誤まって展開したくないとも思う。ベキ論は大事と言いながら、間違った擁護の仕方をしては私がベキ論を貶めることになる。いやいや、反ベキ論の方々のお陰で私も少しは修正できそうです。

ま、認知力のなさを自覚している私だから、常々から言葉を誤解して憶えていないかとか、確認する習慣をとおし続けているのですよ。(;´∀`)

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