罪の意識

前の記事、私の人権感覚の文中で ❛信頼できないのは信頼しない人のでなく❜ と述べました。この想いは私に独特な感性から生れるの?それならこの感性は私のドコから生れるの?私に独特の感性なら他者には理解し難い筈。他者には理解し難い想いや感性は誰もが持っている‥それでどうするのと案ずるとき私には私の思想が生れ、あなたにはあなたの思想が生れる。そうやって(人それぞれの)人権感覚が芽吹き・動いてくる。そうやって平林たい子の喧嘩観は育ったけれど、残念ながら彼女のこの思想は日本共産党のなかのマイノリティーに過ぎなくて受入れられなかった。私はそう想った。

あなたにはあなたの思想があって好いのだし、此処はそれについて論じる場でもないから、此処でどうしてもお知りになりたければ(自ら)学ぶ盗むか,2つに1つでしょう。文化が具わる過程はいつでもこの手順を踏むしかないと思う。そしてここまで判ってしまった私(あなた)は学ぶのみ‥自ら破滅を選る人はいないのだから。だから私は盗まず学ぶことに決めている。そのことは一先ず置いておきます。ここで大事なことは、凡ては私の責任‥私の未熟さが世界に及んだ所為でしかない。即ち私のを私は法華経に学んだ。法華経の盗み食いは不味いようで、ペッペッと猫跨ぎしていく人たち‥(^^;

結局、お前の罪だ、いやお前の罪だ、と罪の擦りあいを私はしない。私が未熟ゆえに居心地悪くなったとしたら、そこを始まりとして世界を拓いていく愉しみが私に齎される。そうであればどうしてだろうか、だろうか。私に凡てはご褒美であり、美味しいお菓子をつくるための素材(功徳)です。好い材料をワザワザ呉れた人に感謝しなければ、私(あなた)は知らずになってしまう‥そうだろ?この私の感覚をこれまでに私がした人たちの殆んどは理解したがらず、猫跨ぎしていった‥何でかなあ?此処は理解させる目的のマガジンでなく、私が目的のマガジンですからね。チャンチャン🎶

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