身内意識

これは私のプランター庭園での体験で知ったことですが、生れ育ち性質は変る。だったら個性の違いは一卵性双生児のばあいにも露(あらわ)になっていって当然ですね。ダシ雑魚を施されてイチゴは美味になる。餌をくれる人をメダカは恐れなくなる。そのように格別下等な植物も下等な動物も環境次第で生きかたは変っていく。能力が高い生き物になるほどに棲(住)んでいる環境を善く生かし或いは劣悪に貶めもすることになる。

甘やかせれば懐いてくるワンちゃん猫ちゃんだし、叱らなければ限界が分らないワンちゃん猫ちゃんでもあり、しかし叱れば控えめにすることを覚えるワンちゃん猫ちゃんですから、その飼い主の顔色を窺がう姿に親しみを覚える私たち人間。これがナメクジだと甘やかせればつけ上がるし、怒ってみせるとアノ手コノ手で私を誑かして一番美味いところを奪いとろうとする可愛げのなさ。だから犬猫には親しみ(身内意識)を覚えるのが当然です。

この身内意識は私のモノであり、私と似た意識を持つ方は多いかも知れませんが、犬は嫌いという方はいらっしゃるし、猫が嫌いな方もいらっしゃる。牛は殺していいけど鯨に身内意識を感じる人もいらっしゃる。「身内か・そうでないか」の線引きは人それぞれのようですが、日本人を観察してみると「その場の盛上がりで決めてらっしゃる方が殆んどのようです。「皆さん賛成なさってますよ」と聞くと、それなら僕もそうする‥と云うか。(^^;)

みんな大らかなのかも知れないが、身内の意味が曖昧だから身内意識が曖昧になっていて、詰まるところ人権意識が希薄になっていることに気づくべきかもしれないね。鯨を大事に思うのは好い、ペットを大事に思うのも好い。だがそれは何となら引換えにできるか、どんな大事なモノとは引換えられないか?この点に我関せずで済むか・済まないかを考えなければならない時期に私たちは既に至っているのでないか?私にはそのように思われるのです。

ナメクジなら我がままに生きて構わないし、バイ菌も我がままで構わない、人間の赤ちゃんは我がままイッパイに育っていくのが善いのは当然です。しかし、幼児であっても人間に生れてしまった以上は我がままにさせておいてはならない。仮にも私の文を読めるお人はナメクジを・ばい菌を・悪玉を全滅させて済むか済まないかを知っていなければならない。細やかな私のプランター庭園での体験で私はそのように結論づけるべきを悟ったのです。

あなたは如何思われますか?がん細胞を全滅させて果たして悪影響はないとあなたは言えるでしょうか?ともあれ佳い未来へ至るために先ずは身内意識の共有からスタートしなければ始まらない‥かも知れませんね。私の日常を申せばプランター庭園からナメクジの一掃を図っている現状、でも害虫を殺さない途をデキるだけ早急に見つけたいと思ってもいるのですよ。(^_^;)

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