私の人権感覚

直前の記事「筆を折った訳」で触れたように私は喧嘩が好きでないけれど、もっと好きでないものがある。それは、私に言いたいことがあるにも拘(かかわ)らず言わないで済まされること。それを喜ぶ男性がいるのは知ってるけれど私は信頼されていないことが許せない。もちろん、信頼できないから信頼しないのであって、信頼できないのは信頼しない人のでなく、信頼されない私に未熟さが感じられるから信頼できない‥それは分りますよね?

しっぺ返しが恐くて言えない人はとっても多い。平林たい子もそうだったけど、彼女が何を言っても夫は許して受入れた。もちろん、意見の違いに妥協する夫ではなかったけど、たい子にはたい子としての考え方があって当たり前だし、それを受入れた夫だったんだよ。私の場合も妻と同じ考えだとは決まってはいない。相手の人権を受入れるってのはそういう事なんだよね。民主主義の社会でアダムイヴのような主従関係は駄目なんだよ。

こんな考えかたの私を毛嫌いする日本人の多さを知っている。私を敵視する人の考えを私は認めている。アイツの考え方は嫌いだから、俺はアイツを受入れないって人の考えも私は受入れる‥それで妻は私に安心できるのかな⁉「いやいや、まだまだ」って言われても、私は相手の人権人格を受入れるのみ。あはっ、こんな私の感覚に付いていけませんか?私の感覚で喧嘩しても相手は傷つかない。それにしても傷ついてる日本人のナンて多いこと。

念のために言っておくと、相手の人権・人格を受入れるけど、私は誰にも隷従しませんよ。あなたは如何でしょうか?夫婦喧嘩しない主義のあなたですよ。恐い夫に隷従して幼児を虐待する事件がこの日本社会に増えました。私は幼い息子とも議論はしたよ。だけど嫌がる息子を親の権威で従えたことはありません。人権には年齢も性別も関係なくて、この世に生を受けた人間なら誰にも具わっている。私はそう思うけど、あなたはどうでしょう?

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