善き友人 - 好感 -

画像は私のプランター庭園で元気に過ごしている緋メダカの群の一部。私はメダカが好きですが世間的にも人気は高い‥いわゆるメダカに好感を持つ人は多いでしょう。だからと云って誰にでも好かれると決ったモノでもないようです。好きの根拠は誰でもが同じということはないのですね。

販売価格が安いから緋メダカが好きと云う人、逆に安いから詰まらない‥つまり持ってても高級意識を満たせないから嫌という人もいる。エサ用に使う金魚にはリスクがあっても緋メダカにリスクは感じられず安心できて、だから緋メダカが好きというのもある。体色の好みも人毎にちがう。

緋メダカを置く私の事情‥私のプランター庭園の環境を共に守ってくれる仲間という位置づけは大きい。私に害悪を為さないという点も見逃せない。繁殖力(生命力)の強さも好きだ。金魚と同居させているが緋メダカの生残る能力(生命力)にも魅力を感じる。結局私の期待に応える緋メダカなのです。

それにしても好感普通(≒普遍)の感情でしょうか?特殊な感情でしょうか?利善益善を人は心地よく感じるし、害悪には順応したくない感情が起る。私は功利主義を嫌悪するものでない。そういったことでnhk″100分de名著"の「アルプスの少女ハイジ」が今面白く思えて、私には好感度なのです!! 

好感が普遍の感情なら私たちは好感を大事にしなければならない筈で、それは害悪に順応したくない感情を大事にするってことでもある。(結論的に申せば)この大事を具えるためにハイジはフランクフルトでの過酷な体験を積む機会(チャンス)に恵まれた。大事なチャンスを賢者は悦び愚者は退く

青年であればこのように厳しいことも申さねばならないと思うも、ハイジは5歳~8歳の幼少期。モノの道理を守りたいと願う大人が周囲に居る場合にはハイジの環境はきっと守られる‥でしょうね⁉そういった学びの場が私の場合は箱庭療法と言えるのかも知れません。学びの場‥お持ちでしょうか?

ロマン・夢が男性のモノで、女性は現実主義と云われるかも知れないが、いやいや、現実主義からは体験主義へと大きく羽ばたくことがデキそうで、後生畏るべしとは実に女性の器の大きさを示していると思われてならない。ハイジの作者ヨハンナ・シュピリの慧眼に畏れるばかりの私がいる。

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