戦争論 - 経済論

経済活動とは三世に亘って世界を計測することと理解する。世界の現状の計測なら生命体全般に具わる遺伝子がやってくれているようだ。腹が減ったとか水分補給を要するとかは初期の遺伝子に観られるし、暑さ寒さに備えての動きは冬ごもりする熊に観られるし、夏に備えて毛が抜けるのは身近な哺乳動物に多く観られる。すなわち遺伝子は世界の状況に備えるようだ。

そういった遺伝子の働きに加えて、(人間の)経済活動は三世に亘る世界を操作しようとする。人間は世界の一部(=客体)だが客体の状態で善しとせずに主体として世界を操作する。穴を掘るなどの世界操作は人間でなくても行えるが三世に亘るところが人間の人間たる所以(ゆえん)、たる存在として生きることが認められている人間(= 主体者)にのみ具わる能力と言えそうだ。

もちろん、この能力に関心を持たない生きかたをする人が在ってもいい。その人たちに「こっちへいらっしゃいませんか」と声を掛ける生きかたを私は好むが、そんな私にあっかんべーと背を向け嗤い騒いで面白がるあなたを否定しないのは、そんなあなたも何れは主(体者)になると私は期待するから。ともあれ此処で私の期待の話は置いておいて、経済活動ですね。

🎶 祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子

この句はwebryブログの格納庫から引用しました。ばらけて置いてなきゃ、削除されるかも知れませんからね。笑  ともあれ過去に学び、先を読みして、今は何をすべきか、私は私なりに試行錯誤しますが、それはあなたの場合も同じでしょう。それにしても独りよがり(独善)ではならないでしょう。幼児と夫婦がいてみんな公平にと意見を求めるのも考えものですね。

何がしかの収入があって三人公平に三等分するのは愚かの極み。教育費・予備費・福祉厚生費ほか‥使いみちはいっぱいあるのに俺に3分の1寄越せなど訳も分らない幼児(たち)に強請られても困りますね。ところが多くの人は幼児なみに善がりたがる。祭りは無礼講だし、規制・規範よりも己の善がりを優先したがる。佳かりでも善がりでも此処は同じで好かりけり?!(^^)!

自分が好ければいいと想って皆のことを考えられずに奪いとろうとする者の心に三世の世界は見えていないようです。そのように他者の痛みに無関心な者が「みんなの幸せが大事~」と叫んだって、そんな幸せは九官鳥が「バカー」と叫んでるのと違わない。その「バカ―」の叫び声で小躍りするお祭り騒ぎは百害あって一利なし。もちろんそこには「一理」もありません。

後先考えない男は祭の囃子に浮かれ踊るけれど‥それ以外、後先考える男と女性に日本丸の舵取りを委ねるほうが安全な航海は絶対に期待できるよね?経済論‥私には深いところまでは分りませんが、基本は押さえている積り。いやいや、橋本多佳子様の哲学のナンて深いこと。そう思いませんか?100分de名著で語られた「祭り」の言葉から私なりに考え述べてみました。

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