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意識できない意識と体力の無さ

先日、久々に家を出て都内まで出かける機会があった。日中の気温は28度まで上がり地元の駅に着くころにはがっつり汗をかいてしまうほどの天気だった。

目的地までは電車で片道1時間程だったのだが、都内での用事を済ませた頃には既に22時を回っており、このまま順調に帰っても地元に着くのは24時前後、自宅に着くころには25時を過ぎているのが容易に想像できた。

普段から自宅に引きこもりっているので、少し外に出て歩くだけでもくたくたになってしまうし、満員電車など人が多い密室などは精神面でもダメージを受けてしまう。仮に座席に座れたとしても外の空気を吸えない限りじわじわと吐き気が押し寄せたりする。

夜の都内を歩いている時はそれなりに気分がよかったのだが、やや人の多い車両に詰め込まれただけであっという間にダウンしてしまい、その瞬間1日の疲れをどっと感じてしまった。

気分を紛らわせるためにイヤホンから流れる曲の音量を少し上げて、外の景色を眺め、意識を疲れや吐き気からなんとか逸らしてみる。

電車の揺れと疲労感と吐き気や疲れからくるあまり心地よくない眠気に苛まれながら今日あった出来事をぼんやりと考えている時、私は私の意識がどこにあるのかわからなくなって少し怖くなった。

これは、仕事に集中しなくてはいけない時にも起こる現象で、目の前の出来事に集中しようと思えば思うほど、なんだかぼんやりとしている気がしてしまい、本当に集中しているのかがわからなくなってしまう。

ただぼーっとしているだけと言えばそれまでなのだが、そのぼんやりとしている間も視界からは情報が入ってくるし、イヤホンから流れてくる音楽の音量は先ほどよりも大きい。身体は間違いなく疲れと眠気を感じているのだが、私はそのどれにも集中していない。

目の前の景色を見るでもなく見て、イヤホンから流れてくる音楽を聴くでもなく聴いている。疲れや眠気で意識がぼんやりしているだけなのだと思うが、しっかりと覚醒しているのにも関わらず私の意識が意識の範囲外に出て行ってしまっている気がしてなんだかモヤっとした気分だった。


__地元の駅にに到着すると私を含めそれなりの人数が車内から降りてきた。ようやく外の空気を吸うことが出来た私は改札に向かう人々を横目にベンチに腰掛けて体調を整える。

一緒に駅に下りた人達が見えなくなり、恐らく改札を潜り抜けタクシーにでも乗り込んだであろうタイミングでようやくベンチから立ち上がって歩き始めた。

それなりに意識は覚醒したものの空腹と眠気はついて回っている。冒頭に記した通り時間も既に24時を過ぎており、ここから歩いて家に着くころには25時を回っているのは間違いないだろう。

久しぶりの外出だったので髪をセットして出かけたのだが、整髪料がよりによって油性のポマードだ。3回や4回のシャンプーで落ちる代物ではない。

ここから40分程かけて自宅まで歩き、その後に風呂も済ませなければならないのかと思うと再び動けなくなってしまい、またベンチに腰掛ける。

精神面はどうしようもないにしても、この体力の無さは考え物なので気分がいい時には散歩などを心掛けなくてはならないなと思った次第だ。

おいしいご飯が食べたいです。