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連載青春小説『Buffering-errors in the youth』(7/7)

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第七章 バルコニー

 結局、遅れを取り戻すために猛勉強して、姉ちゃんの結婚式ではうかつにもセンチメンタルになって、アキオが男でよかったよ、と娘の結婚式に疲れきった親の言葉に同意し、そしてまたさらに受験勉強に奮起して見事第一志望に合格、とは世の中は甘くなくて、なんとかすべり止めにひっかかるという中途半端な結果、妥当といえば妥当の結果で終わり、それでもう一浪して第一志望に再チャレンジっていう道もあるけど、学力やモチベーションや金銭的なことを考え、それにそこまで固執するほど志望していたのかと言えば怪しいものだから、すべり止めで合格した大学に進むことに決めたんだけど、入学手続きを済ませた帰りになって、これで一年間の浪人生活が終わったのだという清々しい気分とこれでよかったのかなというわだかまりとが同時に湧き上がってきて、胸の痛みを感じたぼくは夕暮れのいつもの家路の途中に、思いもかけず、満開の白木蓮を発見し、その夕映えの生々しい白さに見惚れ、半ば放心してしまう。


 吸い寄せられるように樹の近くまでくると、花の色は真っ白というより艶のある乳白色だとわかった。下に落ちていた、散ったばかりの花びらを一つ拾った。花にさほど興味はないし、ヒラヒラ舞う桜の花びらのイメージしかなかったから、白木蓮の花びらの、ハリのある肉厚な手触りに驚いた。それでつい、帰路の手遊びにそれを持ち帰ることにした。匂いを嗅いだり、親指の腹で何度も感触を確かめた。
 家の前まで来たとき、あらためて花びらを見てみると、触りすぎたせいかもうすでに傷んで茶色に変色した筋が何本も入っていた。処分しようかしまいかと迷っていると、声が聞こえてきた。
「アキオー。遅いぞお」
 二階のベランダに姉ちゃんがいた。そして、その横で小さく手を振っているのは、スミレだった。二重三重の驚きだ。不意打ちみたいに声をかけられ、しかもその声の主がもううちにいないはずの姉ちゃんで、さらにスミレまで一緒にいる。ぼくにとってちょっとしたアヴァンギャルドな光景だ。
「何してんの?」
 ぼくは白木蓮の花びらをとっさにポケットにしまいながら、二人に聞こえるように大きめの声を出した。
「何って、帰ってきただけよ。悪いかしら」とニタニタした顔で姉ちゃんは言うと、「ねえ?」と隣のスミレに首を傾げた。スミレはそれに笑って返した。
「旦那さんとケンカでもしたの?」
「してないわよ」
「じゃあ、なんでさ」
「何よその言い方。せっかく合格祝いしてあげようと思ったのに」
「ふーん。で、そっち……」と言いかけて、ぼくはスミレの方に目線をずらした。
「今日、お姉さんが帰ってくるって聞いたから、ずっと借りっぱなしだったマンガとCDを返しにきたの」
「そうそう。それでせっかくだからスーちゃんも一緒に合格祝いしようって、一緒に待ってたのよ。あれ? あんたは残念会かしら? ははは、冗談よ、冗談」
 それでぼくがぶぜんとした顔をしていると、二人はぼくをチラッと見ては耳打ちのラリーをして笑う。ぼくは相手をせずに家に入ることにした。
 ぼくの部屋のある二階への階段を上っていると、姉ちゃんとスミレがコソコソ話しているのが聞こえてきた。階段は短すぎて対抗策を練る間もないから、用心だけは欠かさずに、二階に上がると、ぼくの部屋の扉が開け放たれていて、その中にこちらに背を向けている二人がいた。
 ぼくに気付くと、二人はびっくりして振り返り、背後に何かを隠した。
「ちょっと勝手に入らないでよ」
「いいじゃない。姉弟なんだから」
「よくない。何してたんだよ。何かいじってたろ」
「何にもしてないよ。ね?」
 姉ちゃんとスミレはうなずき合う。
「怪しい。後ろに何か持ってるでしょ」
 ぼくはわざとらしく目を細めた。
「持ってない、持ってない」
「ならいいんだけど」とぼくは姉ちゃんの言葉を信用したふりをして、いつもどおりに部屋の奥に進み鞄を置いてから、姉ちゃんの背後に勢いよく手を伸ばした。姉ちゃんの背後から引っ張り出されたのは、ぼくの高校の卒業アルバムだった。
「もう、なに勝手に見てるんだよ。こんなもん」
「いいじゃない、いいじゃない。スーちゃんは高校のときのアキオを知らないんだから」と姉ちゃんは言いながら、笑顔でぼくの手から卒業アルバムを取った。
「そうそう、アキオちょっと教えてよ。あんたが告白した子ってどれ?」
「やだ!」
「ケチ!」
「仲いいですね」とぼくらのやりとりを見ていたスミレが言った。
「気のせいよ」と姉ちゃんが即答したから、ぼくはうなずいた。
「わかった。じゃあ当てるから、正解だったら、ちゃんと正解っていいなよ。うーん……この子でしょ。可愛いもん。ほらスーちゃん見て」
「ほんとだあ。可愛い」
「でもスーちゃんの方が可愛いよ。ねえアキオ見て。この子じゃない?」
「はずれ。でもモテてたよ、その子」
「じゃあ、このショートの子は? スーちゃんも当てて」
「この子も可愛くないですか? どう?」
「はずれ。もうおしまい。ずっとやってたらいつか当っちゃうじゃん」とぼくは言いながら卒業アルバムを取り上げて、「おしまい。さあ出てって。ほら」と二人を部屋の外に押し出した。
 一息つくと、すぐに扉の向こうが騒がしくなった。はっきりとは聞こえないんだけど、ぼくの中学時代の話だった。それでぼくはとっさに本棚を確かめると、中学の卒業アルバムがなかった。取り返そうとしたけど、扉が開かない。向こうから扉を押さえているのだ。
「ちょっといい加減にしなよ。姉ちゃん。とにかく開けてよ、ここ」
 ぼくの声なんて聞こえていないってふうに、二人は騒ぎ続けていた。
 ぼくは一旦退却した。しばらく考えているうちに名案が浮かんで思わずほくそ笑む。
 静かに窓を開け、またいで慎重に一階の窓のひさしの上に降りる。音をたてないように、そして何より落ちないように壁に手をかけてひさしの上を移動する。そこからベランダに移る。ベランダのガラス戸から中をのぞくと、二人は扉に背をもたれながら、卒業アルバムを見て笑っている。
 そこへぼくは「返せ!」と一気呵成に突撃すると、二人は悲鳴をあげて驚いて転びそうになった。
「心臓止まるかと思った。もうふざけないでよ」
「それはこっちのセリフだよ」
 ぼくは期待以上の成果に満足した。
「ああもう、ほんとびっくりした。ほらスーちゃん泣いちゃったじゃない? 大丈夫?」
「泣いてないです。大丈夫です、大丈夫です」と言うスミレの目は確かに潤んでいたから、やり過ぎたかなと反省して謝ろうという気になったんだけど、ここで弱気になったら負けだと思って冷静さを装った。まあ、何の勝負かわからないけど……

 ぼくはベランダの欄干にほお杖をついた。隣で姉ちゃんとスミレは、さっきぼくに驚かされたことへの文句をこれ見よがしにしゃべっている。ぼくは黙っていた。夕闇が迫っている。
 ぼくへの文句に飽きたのか、姉ちゃんは「タバコ取ってくる」と言って家の中に戻っていった。
「お姉さん、タバコ吸うの?」
「吸ってたんだけど、結婚前にやめたって。また吸い始めちゃったのかな」
「ふうん」
 そうスミレが言うと変な間が空いてしまって、そうなるとスミレと二人きりであることが急に気まずく感じられた。何か話すことないかなと考えたぼくは、さっきから聞こえていた鳩の鳴き声に耳をすました。
「ねえ、聞こえる? 鳩の鳴き声。これ何か気味悪くない?」
「え?」
 スミレはきょとんとした。
「ちょっと聞いてて」とぼくは小さな声で言って、鳴き声を待った。ぼくらは黙って耳をすました。
 鳴き声が聞こえる。
「ああこれ。確かに気味悪いかも。これって鳩なの? どこ?」
 スミレはまわりを見回す。
「見えないけど、これは鳩だよ。昔から気味悪いなって思ってて」
「へえ。鳩の鳴き声ってクルックウとかポッポだけじゃないんだ」
「そうみたい。もしかして種類が違うのかな。これはドッドッフッフーって感じでしょ」
 ぼくがそれらしい言葉で鳴きまねをすると、スミレは笑った。
「変な顔になってた。それにそんな軽い感じじゃなかったと思うけど」
「えーじゃあやってみてよ」
「もう一度聞いてみないと。また鳴いてくれるかな」とスミレは言うと聞き耳を立てたから、ぼくもそうした。
 しばらくして鳴き声がした。
「デンデンホホーってじゃなかった? フッフーじゃなくない?」
「うまい。そうか、もっとのどや口の中で反響させてこもった感じにするんだ」とぼくは言って、ほおをふくらませて「ドォードォーホッホー」と鳴いた。
「似てる似てる。顔も鳩っぽい」
 スミレは手を叩いて笑った。
「顔も? 笑いすぎだよ」
 すると背後から音楽が聞こえてきた。プレスリーの「Can’t help falling in love」だ。ケンジ叔父さんによく聴かされていたからすぐにわかった。
姉ちゃんが灰皿とタバコを持って戻ってきた。ぼくの横で欄干にもたれる。
「お邪魔かしら。愛を語らってたの?」
「違うよ。それより、これって? プレスリー……」
「そう。後ろから見てたら、夕焼けをバックにバルコニーで愛をささやく恋人たちって感じだったから。BGMにぴったりでしょ」
「やめてくださいよ」
「そうだよ。何だよ、その妄想」とぼくは言いながら顔が火照ってきたのがわかった。
「冗談よ。実はこれケンジ叔父さんの遺品なの。エルヴィス・プレスリーの大ファンでレコードやCDがたくさんでね。レコードは売っちゃったけど、CDは私がもらったの」
「いい曲ですね」
「でしょ」
「うん、プレスリーはいい」
「アキオの合格をきっと喜んでいると思って……」
 ぼくらはしばらくプレスリーの歌声に聞き入った。
「しんみりとしてきちゃったわね。そんなつもりじゃなかったんだけど。ところで何二人で笑ってたの? 私の悪口?」
「違うよ。ひねくれてんな、まったく。鳩の話をしてたんだ」
「鳩?」
「鳩の鳴き声が気味悪いって話」
「アキオくん、鳩のまねが上手なんです」
「ポロッポーは可愛いじゃん。やってよ、アキオ」
「やだよ、恥ずかしい。それにポロッポーじゃないよ」
「じゃあ何?」
「ちょっと静かに。聞こえてくるから」
 三人は欄干に乗り出すようにして、夕空に聞き耳を立てた。
「ああ。これも鳩なんだ」
「お姉さんもこれが鳩って知らなかったですよね?」
「聞き覚えあるけど、気にかけたことないよ、そんなの。それに鳩だって一種類じゃないでしょ。種類によって鳴き声も違うんじゃないの」
「そうか。でもこれは不気味じゃない?」
「そお。ボーボーボッボーでしょ」
「イマイチだな。口先じゃだめだよ」
「さっきのお姉さんに見せてあげなよ」
「しょうがないな」とまんざらでもないというふうに言って、ぼくは背筋を伸ばして胸をはる。「口先じゃなくて、のどや鼻の方に響かせるんだ。ゴホン。行くよ。ドォードォーホッホー」
 二人とも爆笑した。
「似てるっていうか、顔が……」と姉ちゃんは笑いを我慢しながら顔を震わせて言いかけて、結局我慢しきれずにまた笑いに呑み込まれた。
「二人とも笑いすぎ。近所迷惑になるから抑えなよ」
「そのまねの方が気味悪いよ。どうやんだっけ? 教えてよ」
「だからこう胸をはって、全体に響かせるんだ。ドォッドォッホッホオウ」
「進化してるゥ」とスミレは涙目になるほど笑い、姉ちゃんは「まさに鳩胸ってわけね」と言ってまた吹き出し、ぼくは「ドォッドォッホッホオウ」と笑った。

 笑い過ぎて呼吸が乱れていた状態から、やっと三人とも落ち着くと、姉ちゃんは「失礼するね」と言ってタバコに火を付けた。満足そうに煙を吐く。
「やめたんじゃなかったの」
「やめたよ、禁煙を」
「だめじゃん」
「禁煙は安易にするもんじゃないわね……。スーちゃんはタバコ吸わないかもしれないけど、いい、教えてあげる、禁煙と恋愛は安易にしちゃだめよ。失敗すると挫折感を味わうから……」
「あー、はい。気を付けます」
「その前に、安易に喫煙しない、じゃないの?」とぼくはぼっそと言って、スミレと顔を見合わせて苦笑いをした。
「やっぱり旦那さんとうまくいってないんでしょ。また余計なこと言っちゃったんじゃないの? もしかして離婚?」とぼくはふざけた調子で言った。
「何言ってんの。余計なお世話よ」と姉ちゃんは言ってそっぽを向いてタバコをくわえた。
 それでぼくはつい「姉ちゃんは口悪いからな」と小声で言ってしまって、それがやっぱり聞こえたらしく、姉ちゃんはすぐさま振り返ると「聞こえてるわよ。あんたの方が口悪いでしょ」と言ってぼくのほおをタバコを持ってない方の手でつねる。
「イタタタ。離せよ」
 ぼくは負けじと姉ちゃんの両ほほをつねり返す。すると片手がタバコでふさがっている姉ちゃんは、両ほほをひっぱられているから「スミレはんもてつたって」と変な発音で言った。スミレは嬉々として、言われた通りにぼくのもう片方のほおをつねる。だから「ちょっとひゃめろよ」とぼくは言いながら片方の手を姉ちゃんから離して、その手でスミレのほおをつねってやった。
 いつの間にか、プレスリーのBGMはケンジ叔父さんが一番好きだった「It’s now or never」に変わっていた。日は落ち、夜はすでにベランダの欄干に手をかけている。握手を求めているかのような夜の親しげな接近に胸がざわめくのだけど、あいにくぼくの両手はふさがっているのだし、とりわけスミレのほおは滑らかで柔らかく、その蠱惑的な感触に、正直言うと、相当動揺していて、胸のざわめきの正体だってもしかしたらこちらかもしれない。もちろんそれは二人には秘密なのだけど……。


― おしまい ―

最後まで連載にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
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今回はちょっとしたおまけ画像を最後につけました。
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