タランティーノとウェス・アンダーソンと私。

『誕生日が待ち遠しい!』を投稿し終わった。
最後まで読んで頂けた方、誠にありがとうございます。
まだ、読んでいない人は、お時間があるときにでも目を通していただけるとうれしいです。

『誕生日が待ち遠しい!』は数年前に書いたものです。
それを久方ぶりに読み直し、手直して投稿したわけだが、
創作の経緯を思い出した。
「何を表現したくて書いたのか?」
それについて書こう。

まず、子どもを主人公にするにあたり、
「子どもの時間」とは何なのかと考えた。
(これについては別の記事で書いた→こちら

もう一つ思い出した。
方向性に迷い、手当たりしだいに文学賞に応募していた時代です。
目についた児童文学賞に応募しようと書きました。
そんなだから、いざ書く段になって、はて?児童文学とは?となる。
とりあえず好きな『トム・ソーヤの冒険』や『飛ぶ教室』なんかを再度読み直す。
しかし結局、「児童文学」の要件がわからぬまま書いた。
子どもが主人公なら、ま、いっかと開き直り、やりたいことをやろうと思った次第。

『トム・ソーヤの冒険』や『飛ぶ教室』。そこから影響を受けたのは、友情とか成長ではなく、冒険だとかアクション。
それを現代の郊外の街でやってみようと。
郊外のショッピングモールでやってみようと。

あわせてもうひとつやりたかったことがあった。
当時、クエンティン・タランティーノとウェス・アンダーソンの映画好きだった。
(今でも好きだ。この二人の新作は忙しくても映画館に駆けつける。ウェス・アンダーソンの新作『グランド・ブダペスト・ホテル』も観ましたよ。最高でした)
二人の映画のテイストを自分なりに書けないか、と思ったのです。
ウェス・アンダーソンはいいとして、タランティーノを思い浮かべたその時点で、児童文学を書く気があったのか!
自省している。
(いや、していないかな……。うん、してない。)

そんなわけで、『誕生日が待ち遠しい!』がいわゆる「児童文学」になったのかどうかわからない。
児童文学ってなんなんでしょう?
いや、それに異議申し立てしたいわけじゃありませんよ。
言い訳です。

その話はいいとして。
タランティーノが子どもを登場人物にして映画を撮ったら、どんなもんになるだろうと思っちゃったわけです。
さすがに、エロ・グロ・ヴァイオレンスは抜きましたが、タランティーノ映画の魅力の一つは「無駄話」ですよね。
ウェス・アンダーソンの映画も「無駄話」が多い。
というわけで、『誕生日が待ち遠しい!』では、筋と関係のない子どもたちの
「無駄話」が続きます。
(もともと「オチ」というものに興味がないってのもありますが)

もう一つ、二人の重要なエッセンスだと思うのは「活劇への愛」です。
「無駄話」から「活劇」「アクション」シーンへの転換は、観ていてぞくぞくします。
(ウェスの新作『グランド・ブダペスト・ホテル』ではスクリューボール・コメディになってます)
それもやりたい。
そんなわけで『誕生日が待ち遠しい!』も唐突に場面が転換します。

こんな点を楽しんで頂けたらいいなあと思ってます。

いや、楽しみ方は自由なので、
観点はなんでもいいので楽しんで頂けたらうれしい。
限定しません。

じゃあ、作者が自分の作品を解説するなんていう恥ずかしいことするなって、
話ですが、「なにこれ?」って思った方への言い訳です。
それに以上の点がちゃんと表現できているかはまた別の話ですから。

結局、何がいいたいかと言うと、
ウェスの『グランド・ブダペスト・ホテル』、必見です!!!(笑)
(あんなのが書けたら死んでもいいなあ。いや死ぬのはいやだな……)

こういうオチはいかがでしょう?
(オチに興味ないっていったくせに……)

ではでは、駄文にお付き合い頂きありがとうございますm(_ _)m

今後ともご贔屓に。

【追記】あと、もう一つ思い出した。ウェスのあの叙情的なスローモーションもやってみたかったんだよね。単に時間の速度の問題ではなく、なんとか文章で表現できないかと。うまくいったかどうかは読者様には関係のないことですがね。

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