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子どもの時間

以前、児童文学というかジュブナイルノベルというか、
呼称は何でもいいのだが、子どもたちが主人公の小説を書いた。
シュールではないが、放ったらかしはもったいないので、
これからアップします。
ただしこれまた長いので『Buffering-errors in the youth』に続いて連載ものになります。
長い読みものはnoteに似つかわしくないかもしれませんが、
読んで頂けるとうれしいです。
タイトルは『誕生日が待ち遠しい!』。

それを執筆時に感じたこと。
大人の時間の過ごし方と子どものそれは違うのではないか?
ある一点において。
それは、子どもには「思い出づくり」という観点の時間の過ごし方がないのではないかということです。

大人は「思い出づくり」という前置きをして何かをするときありますよね?
でも、子どもにはそれがないのではないか、と思ったのです。
子どもは、「思い出づくり」なんていうケチな時間の過ごし方はしない。
体験した数々の出来事が、結果として思い出=経験になることはあるけれど、
何かをするとき「思い出づくり」なんていう前置きをしない。
だから、ひとつひとつの出来事がダイレクトに体験される。鋭角に感覚にささる。
受けとめる心はヒリヒリする。笑いはつねに、心震わす笑いである。
痛みであり、胸躍る喜びでもある。
体験は常に生々しい。
そしていずれ、それはまろやかになり、経験の棚にしまわれるのだ。

ぼくがいつも描きたいと思うのは、体験であり、経験になる一歩手前。
そんな体験の生々しさ、ヒリヒリ感を描きたいと思ってる。

これからアップする『誕生日が待ち遠しい!』では、
そんな「子どもの時間」を描いたつもりだ。
うまく伝わってくれるとうれしい。



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