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わてほんまによぅいわんわ

しんどい。
多分、母がしんどいのだと思う。

私を知っている人たちは想像ができないかもしれないけれど、私の母(正確には養母)は、びっくりするほど世間知らずだ。
先日も父の確定申告をしてもらうべく税理士さんと打ち合わせをしていたが「扶養者控除」を知らなかった。
70年生きてきて、ずっと専業主婦でもなく、正社員だったり正規公務員だったりしたことがあるのだが、知らない。父が税務課職員歴の長かった人なのですべて担っていたということもあるけれど、それにしたって「夫の扶養に入っている」ということくらい理解していると思っていた…甘かった。
ちなみにこの出来事までの母の世間知らずエピソードナンバーワンは「小学生だった私に向かって“ほら見てごらん!きれいね!”とラブホテルをみせていたこと」です。察してください。

母は別に、会った人たちが全員首をかしげるような人ではないし、自分の習い事とか、買い物とかには行けるし、携帯電話だって父よりは使える。
使い古しのiPadに青空文庫を入れて渡したら「病院の待ち時間に読めて便利!」と喜んでもいる。
ただ、理解が及ばない物事が多すぎる。
法律用語と言うか、漢字の熟語になった瞬間に全く理解できなくなる。
そして理解するという作業をすぐ投げる。「○○ってどういうこと?」と自分から質問しておいて、こちらが説明しだすと聞いていない。かなりかみ砕いたりして子どもにもわかるように説明するのだけれど、「へーまぁいいや」と言われて終わり。自分から聴いたのに、だ。
かと思うと自分で勝手な解釈をしているので「センター試験は一夜漬けで大丈夫な試験」だと信じていたし(多分まだ信じているし、大学入試のみならず各種国家試験もそうだと思っている)、例えば誰かが賛辞として「六法全書が読める」という言葉を並べたら「六法全書が理解できる」と解釈するのではなく「日本語が読めるからみんな読めるものなのになんでそんなに威張るの?」といぶかしんでいる(ちなみに母が六法全書をめくったことがあるかは不明)。
もちろん説明をしたとしても…だ。
意思の疎通と言うか、母の世界全体に対する解像度が、私のそれとはかなり違う。
そして修正不可能なので、共感したり共有したりは難しいし、議論をするなんで絶対に不可能なのだ。

まあ、日常生活では母の大好きな幼児教育のレベルで接して会話していれば問題はない。
私が母の好まないものを食べていたりすると「私はそんなもの食べないわ~」とか余計なことを言ったりしてくるけれど。それは性格の問題。
問題の種は、母のする説明の要領がつかめないことだ。
とにかく説明が下手。
先日の法要は私の娘が母を手伝ってくれていたのだけれど、どのタイミングでどんなお茶やお茶菓子を出すのかを共有しなければスムーズな作業ができない。んだが。
「お参りに来てくれた人にまず暖かい緑茶を出して、お経が一つ終わったらお茶を入れ替えてまんじゅうを添えて出し、全部終わったら冷たいお茶と供物のお菓子を出す」ということを娘に説明しようとしても母は「あったかいお茶がいいでしょ。お花は分けて。でもつめたいのもあるといいから用意したから。冷たいのはそのままだせばいいでしょ。まんじゅうもかってきたから。新聞紙は持っていくから。それで全部終わったらお供物おろしてだして。あと菓子器にお菓子いれとけばいいでしょ」みたいな感じで、順番もぐちゃぐちゃだし、同時に用意するものを同時に説明できないし、ほかの説明が混ざる。
始終がこんななのだが、本人はとても丁寧に説明したと信じ込んでいるので、何度も聞くとすねるし、聞くたびに順番は変わるので結局正解が分からない。
そのせいで、娘はパニックを起こしかけた(助けに入ってくれた息子GJ)。
さらに、自分のお気持ちが混じる上に、相手に同意を得ているつもりなのでここで頷こうものならばあとで「あんたもいいって言ったでしょ!」と怒られたりする。
母の言う「これ買ってきたんだけど」は「買ってきたから食べなさい」だし、「これ食べる?」は「食べるでしょう?食べるに決まってるよね!」(断ると怒る)だし、「○○しようと思ったんだけど」は「○○してくれるよね?」(断ると怒るうえに察していないと怒る)なので、普段から会話が成り立っているかと言うと怪しいのだけれど、とにかくフローチャート的に何かを熟さなければけないときに大変に困る。
法要が何とか無事に終わったのは、娘の気の回りと、普段から祖母の気性をやり過ごしている息子のフォローのおかげだ。

さらに厄介なことに、母は自分の説明が十分ではないこととか、世間知らずなこととかに自覚がない。
母は自分のことを「難しいこと以外何でもできる行動派」だと信じているから、できないことを指摘するとなかったことにしてしまう。
そしてそのできないことを私が処理しても、それはもうなかったことなので私の労力も存在しない。
「やってくれたの!ありがとう!」なんて展開はないし、そもそも依頼もしないから自分のやるべきことだとも思ってもいない。

父が死んでから何に一番しんどいかといえば、きっと父の死に関して一番の決定権を持っているのが母だからだ。
配偶者であるところの母の承諾を得なければいけないことがたくさんあるのに、それらを説明するのにも疲れるし、理解してくれないし、説明して捺印をしてもらっても何をしたかも理解しないから自分で勝手にもう一度手続きしに出掛けてしまって「もうやってあるなんて聞いてない!」と怒られたりするし、「全部あんたがやって」というくせにこうしろああしろという希望を「普通は○○するでしょ」とか「○○じゃなくていいの?」とか言ってくる。
「じゃあ自分でやりなよ」と言えば「できないから…」で済ましてしまう(こんなときだけできないと認めるのもどうかと思うが「やってほしい」とも絶対に言わない)。
…私だってできないのだけれど、やらなきゃいけないからやる。やるしかないところにいつも追い込まれる。
「私もできない」と返せば「じゃあどうすればいいの?」と怒ってくるが(あなたの手続きですが?)その手順を説明したところで…以下同文。
余計疲れるから、全部自分でやるほうがまし、と言うことになる。
そうして、母は「私の娘は何でも知っていてなんでもできる」という信仰と、わからないことはなかったことになる思考から、私が必死の思いで各種手続きをして疲れているなんてことはみじんも感じていない。
母にとって、私が今這いつくばって疲弊しながらしている作業は、この世に存在しないのだ。

というわけで、約二か月ほど、私の疲労はとんでもないことになっているのだけれど、父の死亡に関する各種手続きや葬儀会社や寺とのやり取りや、相続に関する不動産会社や保険会社や電力ガス電話会社や税理士や市役所や行政書士や管理会社やなんかとのやり取りは母には認識されていないし、私の仕事は「趣味でやってる」「そんなに働かなくていいのに」(じゃあ、どうやって暮らせと?)と認識しているので仕事の疲れや重責も見えないらしいし、毎日の食事づくりやASD特性バシバシの息子の対応や、就活でパニック起こしている娘のフォローなんかは気づきもしないので、母にとって私が「疲れている」と訴えてもなんとも思わないわけだ。
「大げさな」とか「若いくせに」と、心底めんどくせぇって顔で見られて終わりだ。
体調不良を訴えれば「夜更かししてるから」(作業が終わらなかったのだが)とか「ちゃんと食べないから」(ストレスで消化できない)とか自己管理責任をなじられることになる。

今まで、父が抑えていてくれた母の面倒ごとというか、母が生きていくための現実的なあれこれは、全部私のところに降ってきた。
…父が、母に対してすごく無口で、何を言われても黙っていたことが、こんなしんどい気持ちで実感できるというのも、どうかと思う…
父が死んで、親族の面倒ごとが明るみに出た時、私の祖父の長兄に「一瞬でいいから生き返って!」と願ったけれど、今も心底父に言いたい。
「妻のこと、もう少しなんとかしといてくださいよ!!!」 


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