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翼はまた生える

こんなにも、しんどい朝ドラがあるのか…
今季の朝ドラ『虎に翼』。
初回放送を大学4年生になり就職に悩む娘と観ていた時には「私が産まれる時代が同じだったら、同じような道を辿っていたかもしれないねぇ」と感じ、娘も同感だったようで「おかあちゃんみたいな人…」と言っていた。
なのに、話数が進めば進むほど、そのリアリティが息苦しくなってきた。

「なんでだ?なんでなんだ?」
「はて?」
主人公が疑問に感じることはすべて私がかつて感じたことだし、今もくすぶっているもの。

「女の子なんだから」と言われるのに「跡継ぎなんだから」ともいわれる矛盾に満ちた私の10代までは、本当に「私が男ならこんなことを言われずに済んだのに!」「私が男ならこんなことに悩まずに済んだに!」「私が男ならこんな思いをしなくてよかったのに!」の連続だったものだから、自分の志に無我夢中になって憤ったり、女であることを遠ざけようとして男物の洋服ばかり着たり、すべてをあきらめて恋愛に沼ったりしていた。
そうしてうっかり結婚してからも、良き妻を演じようとしたり、自分の気持ちをあきらめきれなくて大学に通いなおしてみたり(表面上だけ元夫に応援されてみたり)、自分の権利を主張してそれを否定されて離婚裁判までもつれ込んだりしていた。

・・・ドラマの中に、私がいっぱいいるのだ。
みんな、みんな、私の経験したことを、私と同じ傷を、その程度や経緯は違いつつも持っている。
それで、息苦しい。
息苦しいほどに、共感してしまう。

22歳になる私の娘は「ガシガシ仕事がしたいわけではないし、結婚したり子育てしたりもしたいけれど、世の中は就職したら女も男と同じように働けという風潮だし、共同親権(だいたい共同ってなんだ?それを言うなら協働だろう?)とか言い出すし、私は私の希望を叶えたくてもそれを贅沢とか女さんはこれだからとか言われるのが納得いかないし、全然昔と変わってない!」と言う。
確かに女性が生きやすいとは思わない。
男性が男性主体で作ってしまったルールの中にいると思う。
けれど、かつて女性が働くという選択を主体的にできなかった時代と比べると女性の就職は格段に容易になっているし、職種も多くなっている。
たとえば生理用品だって戦後すぐ生まれの母は「脱脂綿だった」というけれど今は選択肢も増えた。
私が大卒の歳、2000年の就職氷河期には就活用スーツ売り場にパンツスーツは主力商品ではなかったし、そういった些細なことを並べれば「ちゃんと進んでいる」とも言える。
少しずつだけれど、進んではいる。けれどそれがまだ十分ではない。だからあなた達はあきらめずに主張してほしい。とくにこれから産むという機会を持つかもしれない世代の主張を、もう産めない私は応援できるから。というようなことを娘に伝えた。
けれど本当に重要なのは、本人が、この場合は私の娘が、自分の希望で自分のことを決め、それを実行することが阻害されないことなのだと思う。
もちろんそれが誰かの尊厳を奪うことでなければ、だが。
そもそも法律が誰かの自由を阻害している場合もあるので、「法律に触れない範囲で」という注釈はいらないと思う。現時点では。

まさに、『虎に翼』。
私たちは、その螺旋の先に生きているのだ。
一度は自分の意思でなくした翼も、また生やすことだって可能なのだ。

ちなみに主人公寅子が裁判を傍聴しに向かった場所のロケ地は名古屋市市政資料館。名古屋の官庁街にあり、裁判所が近くにあることから法律事務所がたくさん立ち並んでいる地域にある。
私は離婚を決めて弁護士へ正式依頼をした日、この建物を訪れている。
自分の襟を正す、そんな場所だ。

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