私は震災を乗り越えたのか その3

大学を卒業し、就職、その後の転職や転勤を経てそれなりに社会人としての経験を積み、忙しく日々を送る中で震災のことを不意に思い出すことも減ってきた頃に起こったのが、2011年3月の東日本大震災でした。テレビの向こう側に見える「非現実的な現実」を見るにつれ、1995年のことが強く思い出され、当時も何もできなかったことを思い出したり、2011年の自分も、今は何もできなさそうだという気持ちからなのか、精神的、心理的によくない時期が続きました。

2011年当時、私はすでに神戸に戻ってきていたのですが、当時の神戸新聞で「東日本大震をきっかけに95年の頃がフラシュバックしてしまう人もいるのではないか」とか、「阪神淡路から長い年月が経っても立ち直ることができていない自分を責め、疲弊する人が相当数いるのではないか」といった内容が書かれた記事を目にした記憶があります。私自身も日々の生活を送りながらも、そんな状態になりかけていたのだと思います。

精神的なバランスを崩し、もしPTSDのような症状が強くなり、仕事ができなくなってしまったら、生活はできなくなるだろうし、さらに自分自身はだめになる。そうなっては元も子もないと思い、2011年の4月頃からは自分を守るためにも震災に関する報道を極力見ないようにして、日々を過ごしていくことに注力しました。しかし、自分の中でどこか後ろめたい気持ちがずっとあって、それは今の今まで続いていて、何もしなかった自分、できなかった自分に対して、非常に腹立たしく思っています。

私はなんと弱いのだろう。なんと人でなしなのだろう。95年の経験があったからこそ、東日本大震災で大変な思いをされたかたに寄り添うべく動いた方もいたのに、なぜ私にはそれができなかったのだろう。偽善でもなんでもなく、今後もずっとその感情は消えることがないと思っています。結局、あの震災を私は乗り越えてなんていなかった。阪神淡路大震災で被災し、自分が経験したことを乗り越えて、その経験をもとに強くなったり、人にやさしくなったり、被災地に思いをはせることが私にはできてなんていなかった。ただのヘタレに過ぎない。今もそう感じています。

こうして書きながら思い出したことがあります、震災直後に一番思っていたことは「人はなんと簡単に死ぬのだろう」ということでした。自然災害の前に人間は本当に無力で、抵抗もできないし、なすすべもない。直前まで普通に生活をして生きていても、いつ何時、命が断たれるかわからない。じゃあどうすればいい?よき行いをすべきでは?自分はそうしてきたか?そのことに対する答えは結局みつからないままです。

続きます。

#阪神淡路大震災 #東日本大震災

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