見出し画像

とある騒動のその後の謝罪と、齟齬の整理

先日、私はこちらのnoteを公開させていただきました。

その後、さまざまな反応がありましたので、それらについての所感と、認識の齟齬を埋めておきたいと思います。また、私が特に非難してしまった3名の方々につきまして、謝罪させて頂きたいと思います。

私のnoteが相当程度、感情的なものであり、そのためにフォロワーの方々を含めた関係者各位にご迷惑をおかけしたこと、申し訳ありませんでした。

とつげき東北氏について

とつげき東北氏からは次のツイートで謝罪を受けています。

note執筆時点では私はかなり意地になっており、「いかなる謝罪も受け付けない。縁を切る!」といった激情的な考えに染まっていました。しかし、頭がある程度冷えた現在、「自分ならしないミスか?」と省みて、ネットでの発言に限らず、やってしまうことはあるだろうなと思い直しました。

私が氏を過度に痛罵したことについて、この場を借りて謝罪したいと思います。大変申し訳ありませんでした。

ただ、本来謝罪を受け入れるべきなのかもしれませんが、とつげき東北氏については感情的な整理がすぐにはつかないので、今のところ連絡を取り合うつもりはありません。

なお、これは余談となりますが、とつげき東北氏から私への謝罪について、「謝り方が足りない」という旨の反応がTwitterでいくつかあることを確認しました。しかしながら、謝罪の対象となっている当事者は私ですから、「十分である」「不足である」は私が判断することと考えます。もちろん、義憤を感じて代わりに怒って下さった気持ちはとてもありがたく感じます。ただ、「来殿ベルにもっと謝れ」というような話は、私としては今後は不要と存じます。(もちろん、私の件とは独立に批判されることは常に自由です。)

現在、真摯な謝罪のもと、タイトル等についても訂正されており、内容には私としても問題はないものと考えております。「表現の自由」について知識のない私にとって学びがある内容には違いありません。わだかまりはありますが、お詫びも兼ねまして紹介させて頂きます。

手嶋海嶺氏のについて

手嶋海嶺氏からはこちらの謝罪を受けました。

note記事で寄せて頂いたコメント

手嶋海嶺氏は、発端となったとつげき東北氏に比べると関与が深いとは言えず、今となると私はnoteで氏を責め過ぎたと反省しています。氏は私のnoteについて「反論」することも可能だったと思いますが、それをせず、また私にとって不名誉なツイートの拡散を咎めてもくださいました。ご厚情に感謝いたします。

私が氏の比較的ささいなミスに対して、これまでの恩義(私の記事のチェックなど非常に協力してくださっています)を無視して、強い口調で非難したことは、あまりに行き過ぎた反応でした。氏からも謝罪を受け容れるとともに、同様に、私も申し訳なかったと考えております。すみませんでした。

手嶋海嶺氏はこの件についてnoteは書かれていませんが(書く必要もないと思いますが)、最新のnoteを紹介させて頂きます。こちらも大変勉強になる内容です。


オリちゃん氏との認識の齟齬について

私はオリちゃん氏も責めてしまいましたが、氏は私に謝罪される必要がありませんので、上に挙げた両名とはまた別であると考えています。

しかしながら、note公開前後の氏のツイートを拝見している限り、認識の齟齬が続いていると感じます。

齟齬のある状態は私としても不本意ですし、流してしまうこともできますが不要な禍根も残すかと思います。ここでは、私が氏を責めてしまった理由となる齟齬を明らかにしながら、本件の整理をしておきたいと思います。

あくまでも齟齬の「整理」であり、オリちゃん氏を責めるものではありません。また正しさを争うものでもありません。

氏は「来殿べるさんが依頼をうけたことを咎めていません」と仰っていますが、私としては「咎められた」と受け取っていました。もちろん、絶対的に私の受け取り方が正しいとは考えません。ですが、そう受け取った理由は説明しておきたいと思います。

上記が私がリムーブ返しをした発端のツイートです。私はこちらの内容に「来殿ベルは、"湾曲したカウンター記事の写真のモデルになる"べきではなかった(来殿ベルは、やるべきでない事、または間違った事をやった)」と咎める要素が含まれていると解釈しました。(写真が実際には不採用だったことは関係ないので今回問題とはしません。)

また上記ツイートを確認した時にも、すでに多数の「いいね」がついておりました。つまり、「来殿ベルは"湾曲したカウンター記事の写真のモデルになる"人である」という、ネガティブで一面的な「来殿ベルの人物像」が共有されたと感じてしまい、この点も、かなり精神的負担を感じました。

また、以後の氏の発言も一部確認していました。一例を挙げます。

こちらも、私としては「来殿ベルは、"ガッカリ"させる行為をした」とやはり咎められているという解釈をしました。これが唯一絶対の解釈とは申しませんが、「私の行為に対して、非難している」と受け取ったことに関しては、一定のご理解をいただければと思います。

このたとえが適切かは分かりませんが、職場で「人それぞれ自由ですが、あなたの仕事のやり方にはガッカリしました」「(その件を理由に)関われない」とされれば、いくら「自由」とついていても、事後的に「責めてはなかった」と説明が加わっても、「非難されている」「責められていた」という感覚は変わりませんでした。

その他の齟齬の一つ一つまでは取り上げませんが、まとめますと、最も大きな認識の齟齬は、

オリちゃん氏「来殿ベルを批判・非難していない。責めていない」
私「オリちゃん氏は、私を批判・非難している。責めている」

こちらに集約されると思います。

私がオリちゃん氏の一連の発言を「悪口」と感じた理由の一部でもあります。オリちゃん氏に批判・非難のつもりがなくとも、こうしたツイートを読んだ人は、控えめにいっても「来殿ベル」に非常にネガティブな印象は抱くでしょう。しかし、それに「悪口」という乱暴な言葉を当てたのは今や不適切だったと深く反省しております。

結果として非難・批判されていたというのが誤解であったということですが、私としても、何の理由もなく被害妄想的に誤解したのではない事だけはどうしても釈明させていただきたく、言い訳がましいと思いながらも書かせていただきました。

再度申し上げますと、オリちゃん氏に「批判・非難をしたと認めろ」「それについて謝罪せよ」と迫るものではありません。繰り返しますが、オリちゃん氏は私に謝罪される必要はありません。私がそう解釈してしまった理由を説明し、行き違いが生じたことを残念に思うのみです。

オリちゃん氏は、私へ謝罪はする必要はない中、上のように丁寧に歩み寄って頂き、恐縮します。どちらも一方的な過失によるものではなかったというあたりで終結とさせていただければ、これ以上はありません。

もっとコミュニケーションが取れていれば良かったというのが私の反省点で、もう少し落ち着いて対応させていただくべきでした。オリちゃん氏には、本当にすみませんでした。私のnoteが過度に攻撃的であったこと、お詫び申し上げます。

同じく胸の大きな女性当事者として共感させていただいた内容のオリちゃん氏のnoteで、ぜひご一読をお薦め致します。

まとめ

言い訳にもなりませんが、発信側に立つためにアカウントを新規開設したのはごく最近で(昔から持っているアカウントは実際の知り合いとの交流用の鍵アカウントで、ほとんど本名なので使えませんでした)、いわゆる「表現の自由界隈」「アンチフェミ界隈」と呼ばれる中での議論の状況はまったくと言っていいほど無知でした。

とつげき東北氏から記事の改善についてアドバイスを求められた際、背景事情を私も確認すべきでした。しかし、重みの認識もなく、とにかく共有いただいた文章を読んで出来るアドバイスすれば良いと簡単に考えてしまいました。(前回のnoteを書きながら経緯を調べているような有様でした。)

今後、同様の依頼がもしあれば、背景事情を自分でも確認してから行うように致します。

前回のnoteで特に名指しして過剰に非難してしまったとつげき東北氏、手嶋海嶺氏、オリちゃん氏におかれましては、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。

また、Twitterをお騒がせし、フォロワーの皆様方にもご不快な思いをさせてしまいました。深くお詫び申し上げます。

本件、内々にDMで謝罪を入れようかとも考えたのですが、自分はいきなり表で非難しておきながら、こちらは内々で済ませようとするのも違うかと考え、まず公開の場での謝罪と一部釈明をさせて頂きました。この判断が正しいにせよ間違っているにせよ、どのような批判も受けたいと思います。

失礼しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?