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「今、この瞬間が幸せです。」ー湘南ベルマーレを愛し続ける男のクラブと歩む人生。

幼少期からベルマーレのサポーターで知られる鍛代元気。今ではフットサルクラブのキャプテンを務める鍛代は生まれ育ったまちのクラブと歩み続ける人生を「幸せ」だと語る。今回のインタビューではベルマーレとの出会いや、フットサルとの出会いを語ってもらった。

■ベルマーレとの出会い

(幼少期からベルマーレのサポーターだったことが知られている鍛代選手ですが、ベルマーレとの出会いはいつだったのですか?)
気付いたら(スタジアムに)いたって感じですかね。親が連れて行ってくれていたので、自分の意思で行っていたかどうか覚えていないくらいの頃から(試合に)行っていたと思います。

(当時、好きな選手はいましたか?)
当時在籍していた田坂和昭選手の個人応援団「田坂隊」に入っていて、応援していたのを覚えています。当時の好きな選手はもちろん田坂選手でした。
田坂さんとは福島ユナイテッドの監督をしていた時に会うことが出来ました。実はその1年前に、馬入の駐車場で田坂さんを見かけたんですが、声をかけることが出来なくて・・・(笑)幼少期から憧れていた田坂さんを目の前に勇気が出なかったんです。1年越しに再チャレンジで勇気を振り絞って本当に良かったです。

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(それからずっとベルマーレの応援に?)
その後、自分がサッカーを始めると試合に行ける回数は少なくなってしまったのですが、それでもベルマーレは気にはなっていました。実は高校のサッカー部時代、ベルマーレのユースチームと対戦をしたことがあります。その試合は0-12位で負けてしまって・・・本当に強くてとんでもない相手でした。そこに猪狩くん(現在Jリーグ湘南ベルマーレフロントスタッフ)がいて、今でも覚えてます。開始数十秒で猪狩くんに右サイドをブチ抜かれて失点したんですよ(苦笑)

(長年ベルマーレの試合を見て来た鍛代選手ですが、この試合を見て活力や勇気が湧いたという試合はありますか?)
最近で言えば5月の浦和レッズ戦もそうですし、ルヴァンカップ決勝もそうですし、ルヴァンカップ準決勝のPKもそうですね。
すごいんですよ、ベルマーレのサポーターって本当にすごくて。もちろん選手もすごいんだけど、あの雰囲気を作れるってすごくて。僕の表現だけど、応援してるを超えてるっていうか、本当に一緒に戦っているというか。ベルマーレに関わる人たちは本当にベルマーレのことが好きなんだなと感じます。

■フットサルとの出会い

(その後、幼少期から憧れていたベルマーレでフットサルクラブの選手として活躍することとなりますが、フットサルを始めたきっかけは何だったのでしょうか?)
室内でフットサルボールを蹴るというのは小学校低学年の時から実はずっとやっていて、ただ当時は「フットサル」をしているという認識はなかったんですよね。当時所属していたサッカーチームのお母さんたちでボールを一緒に蹴ろうという会があって、週に1回体育館でボールを蹴っていたんです。それに僕も付いて行って、同じように付いてきたチームメイトたちとお母さんたちの練習の合間にボールを蹴っていました。実はまだお母さんたちのその会は続いているんです!なので、僕と母はフットボール歴で言うとそんなに変わらないんですよ(笑)

(では、実際に競技としてフットサル始めたのは?)
実際にフットサルを始めるというのは高校3年生の時です。部活でサッカーをしている中で、自分と同年代との対戦だけではなくて、大人と対戦したいなという思いがあって、フットサルだったら大人とできるという話になって、知り合いに誘ってもらって週1回フットサルをやるようになったのがきっかけですね。その人にフットサルに誘ってもらわなかったら今の自分は無いと思っていますし、まったく反対もせずフットサルをやらせてくれた親にもすごく感謝しています。
その後、そこで出会った人に県リーグでやらないかと誘ってもらいました。部活との両立も心配でしたが、やってみたいと思って、高校3年生の時に神奈川県リーグに所属したというのがフットサル人生のスタートです。
高校を卒業してからは、横浜リゾート&スポーツ専門学校に入学して、専門学校のサッカー部にも入部して、フットサルとの両立をしていました。フットサルの方は県リーグ2部で得点王を取って、サッカー部の方は1年生の時に専門学校のサッカー部の全国大会に出場してベスト8になったりもしたんです。その時の神奈川県予選の決勝の相手チームに僕のお兄ちゃんがいて、兄弟対決が実現しました。お兄ちゃんがPK外してうちが勝ったんですけどね(笑)

(その後の進路はどうしたのでしょうか?)
高校生の時に部活でサッカーをやる中で、自分が特別上手いわけでもなかったですし、選抜に選ばれたりとかもなかったので、Jリーガーやプロサッカー選手は目指さないと決めて、サッカーのコーチになるという決断をした中で専門学校へ進学しました。コーチを目指していることを知っていた当時のフットサルチームの方が、ベルマーレが開催していたビーチサッカー大会に参加していたつながりでベルマーレのスタッフを紹介してくれて、休日に普及部のイベントを手伝うようになりました。その後、授業がない時にサッカースクールを手伝わせてもらうことになって、卒業後もアルバイトとして残してもらうことに決まっていたのですが、年度が始まるギリギリくらいに1人欠員が出て、たまたま運が良く、普及部のスクールコーチとして就職することになりました。目指していたサッカーコーチになれて、それが小さい時からずっと応援してきたベルマーレで、すごく嬉しかったのを覚えています。普及部に入ってからはフットサルは全然出来なくなってしまって、週に1回練習に行くくらいでした。

しかしそれから1年後、僕はコーチの契約更新の面談で「フットサルクラブの選手を目指したい」と言うことになるんです。

(なりたくてなったサッカーコーチになって1年でフットサル選手になりたいと思ったきっかけは何だったんですか?)
それがFリーグなんです。僕が入社した時にはもうFリーグはずっと前に開幕していて、存在は知っていましたが観に行ったことは無くて。ある時、フットサルクラブのホームゲームに動員をかけようとなって、Fリーグを観戦しに行くスクール生向けのイベントを僕が企画しました。引率として小田原アリーナに観戦しに行ったのですが、観戦していて、スクール生の子どもたちがすごく目を輝かせているのを横で見ていて、この舞台に元気コーチが立ったらすごいんじゃないか・・・って思って。もうその時には「俺、やるしかない。」ってなっていましたね。それで普及部コーチの契約更新の面談で「フットサルクラブの選手を目指したい」と話して、色々と尽力していただいて、フットサルクラブへの練習参加が決まりました。2週間の練習参加のチャンスをもらっていたのですが、3日目くらいに明日から来なくていいって言われてしまって・・・本当に落ち込みました。ただ後日、ロンドリーナ(サテライトチーム)でフットサルを勉強すれば可能性はあるんじゃないかと言ってもらいました。ただ、ロンドリーナに所属するとサッカーコーチの仕事は両立することが難しくて、かなり悩みましたね。なりたくてなったサッカーコーチという仕事を失うという選択を即決することができなかった中で当時の上司や色々な方に背中を押してもらってフットサルクラブの選手を目指すことを決意しました。その後、上司が何とか調整をしてくれて、コーチも続けながらロンドリーナでフットサルをプレーすることになりました。
ロンドリーナでプレーをしていく中で、トップチームの練習に呼ばれるようになるとトップの練習は午前中なので、いよいよサッカーコーチとの両立が難しくなって、サッカークラブはアルバイトとして残る形になりました。普及部としてはスタッフがいなくなるわけですから、すごく困ったはずです。ただ、その選択をさせてくれたというのは“ベルマーレ”だからこそだと思います。

当時、ロンドリーナは県リーグで戦っていて、神奈川県1部で優勝して、僕自身は得点王も取りました。チームメイトにはカリ(刈込真人)がいましたね!その次のシーズンでトップチームに昇格して、湘南ベルマーレフットサルクラブの選手になることができました。トップチームへの昇格が決まって”湘南ベルマーレ”の選手になることが決まった時は、本当に嬉しかったです。ずっと喜んでいられるくらい。けどここで満足しちゃダメだ、ここからだ!って自分に言い聞かせてました。

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■背番号“15”に懸ける思い

実は今まで「15」の背番号はつけたことがなかったんです。サッカースクールのコーチ時代、当時フットサルクラブの選手だった関新さんと仕事でやりとりをすることが多かったり、関さんの息子さんが僕が担当していた未就園児クラスのサッカースクールに通っていたりで、勝手に縁を感じていました。フットサルについても色々と話をしてくれていて、本当にすごくお世話になっていて、いざトップに昇格した時に一緒にプレーが出来るかと思いきや、入れ違いで一緒にプレーすることは出来なくて。その時に、当時関さんがずっとつけていた「15」をくださいって言って、もらった背番号です。だからこの15番には大きな意味があるんです。この背番号「15」の価値を高めることが関さんへの恩返しになるかなって思っています。

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■エンブレムの復活

(今シーズンからエンブレムが復活、そして全競技統一のエンブレムとなりました。)
今までのエンブレムがあったからこそ今があるのは間違いないです。今までの歴史を紡ぎつつ、以前のエンブレムで戦ってきた人たちへのリスペクトは忘れてはいけないと思っています。その上で、やはり“ベルマーレ”というクラブはこのエンブレムであって、50年の歴史があって、そのクラブ全体としての歴史の一つに自分たちが存在しているんだと感じています。フットサルクラブの歴史と、クラブの歴史を一緒に背負っているんだと、この重さ、熱さはすごく感じています。個人的なことを言うと、このエンブレムを背負っているというのは何だか夢みたいです。やっぱり小さい頃から憧れていたんだと思います。憧れていたところに自分がいるこの瞬間、何というか…、幸せですね。胸を張って「今の俺の人生は幸せだ」と言えます。

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■鍛代選手流のベルマーレの楽しみ方

やっぱり1番は「試合がある」ってところです。フットサル、サッカーを始めとして色々な競技、カテゴリーの試合があって、その瞬間って非日常なんです。普段の生活じゃ考えられないような出来事が起きたり、感じられないような感情を抱いたり。それってやっぱり“ベルマーレ”が無いと起こらない。必ずしも喜びだけじゃないけど、それも含めて喜怒哀楽の感情が生まれて、ベルマーレに関わると気持ちの部分で幸せになれるんじゃないかなと思います。競技を越えた、人間としての熱さ、温かさ、深みを感じられる。それを大いに感じられるクラブがベルマーレなんじゃないかなと思います。そういう部分を楽しんでもらいたいです。

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■最後にメッセージ

ここ最近、プレーオフ進出にしたり、全日本で3位を取ったり、今シーズンはオーシャンカップで準優勝を獲れたり、もちろんまだまだ足りない部分はたくさんありますが、このまちにタイトルを持ってくるというのが全く雲の上の話ではなく、実現できる位置にいると思います。そのためにも僕らは選手として1日1日を練習以外の時間も24時間本当に大事に使って戦っていくので、皆さんには会場に足を運んでもらって、会場を緑と青に埋めてほしいなと思います。皆さんの声援は本当に力になるし、本当に別の空間が出来上がっていて、感動します。そういう空間をみんなで作っていって、この僕たちのまちで一緒に優勝パレードをしましょう!

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インタビュー前にふと目に入ったトトロの手帳。何だか意外だったので「トトロ好きなんですか?」と問うとこう答えてくれました。

「実は結構ジブリ好きなんですよ。1番好きな作品は“天空の城ラピュタ”ですね。」

間違いなくどこまでもベルマーレな男である。


7月20日(土)、鍛代元気選手が湘南ベルマーレとともに生まれ育った平塚でホームゲームが開催されます!ぜひ会場へ足を運んで鍛代選手、そして湘南ベルマーレフットサルクラブへ熱い応援をよろしくお願いいたします!


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