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事件は現場でしか起きない。~社会人で必要なことは、すべて小田急で教わった~【⑤車掌編】

私は、田舎の高校を卒業して小田急電鉄に就職しました。18歳で都会の雑踏に投げ込まれ、経堂駅のホームでラッシュの押し屋(電車に乗れない人をぎゅうぎゅう押し込む車掌の仕事のこと)、夜は泥酔してホームや車内に倒れている酔っ払い起こし。

けんかの仲裁やらんぼうな乗客への対応、キセルの摘発、事故や急病人への処置など、「社会人一年生で大切なことは、全て小田急で学んだ」と言っても過言ではありません。

駅を一年経験すると、車掌試験を受けることができます。無事に合格して見習い期間を経て、単独乗務をすることになりました。更に二年乗務して、今度はロマンスカー乗務の資格を得て、子供の頃から憧れていたロマンスカーの車掌になることができたのが22歳の時。

私の人生の輝きは恐らくこの頃がマックスだったことでしょう。当時は、バブル期で週末ともなると、ロマンスカーは満員御礼。プラチナチケットのような取りにくさです。車内のお客様の高揚感も半端なく、僅か1時間半の箱根までの車中が大宴会。喫煙車は煙もうもう。

私が乗務していた頃、11両編成のロマンスカーには、日東紅茶、森永の「走る喫茶室」のスタッフが8名も乗っていたのですから、今、車内販売が廃止のご時世からすると隔世の感があります。車内販売も飛ぶように売れていました。

そんなある日、事件は起きました。その日は、ゴールデンウィークの真っただ中、通常勤務が終わり、新宿から小田原までのロマンスカー往復の残業(増勤)を受けました。ロマンスカーは小田原に着き、座席を回転させて、小田原から新宿へ向かうお客様の乗車が始まりました。ロマンスカーは全車指定席。

ゴールデンウィークですから、もちろん満席なのですが、通路に立っている大勢の乗客が座る気配がありません。出発時間になったので、とりあえず、列車を出発させて車内に入ると、通路は帰省ラッシュの新幹線の自由席みたいな混雑です。

繰り返しますが、ロマンスカーは全車指定席で自由席や立席はありません。不穏な空気の中、

「お客様、どうされましたか?」

と聞くと、

「車掌さん、もう誰か座っているんだけど」。

よくあるんです。
席がだぶっていると申告がある場合、どちらかのチケットは日付を間違えているか、列車を間違えているか。

「確認しますねー」

と双方のチケットを確認すると、何度見返しても、どちらも正しい指定席券。完全にだぶっています。通路に溢れているお客様のチケットを確認すると、全員が正しい指定席券を持っていました。
そう、一番後ろの車両52席が全てダブっていたのです。

52席しかないのに104人に指定席を売っていたのです。そりゃあ、通路に溢れるよね。なんて呑気なことを言っている場合ではありません。
帽子をとり、平謝りをしながらチケットに払い戻しのサインをして、全員のサインが終わったら新宿駅着。

なぜこんなことになってしまったのかというと、当時は全部の駅にコンピューターがなく、駅や代理店は電話で予約センターに予約照会をします。この電話が曲者で、言い間違い、聞き間違いが起きるのですね。

恐らく当時は今よりも社会が寛容で怒鳴られたり、新聞に投書されたり、SNSの拡散がなくて助かりました。今だったら、ネットニュースで炎上しますね。「あり得ない話」や「想定外」は油断したころ目の前に現れます。

                        高萩 徳宗

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