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おせっかい大都会、台北の心地よさ

おはようございます。
台湾の朝です。

台湾気功の権威、萬真先生の地元苗栗県から台北に戻り、台北泊。台湾新幹線と地下鉄を乗り継いでホテルに入りました。

台北は大都会ですが、東京と違い、殺伐とした嫌な感じの大都会ではありません。旅行気分だから、だけではない台北の居心地の良さを感じます。

何だと思いますか?

私が感じる大都会東京と台北の違いは3つ。


・みんながおせっかい

台北で地下鉄や新幹線に乗っていると
あちこちで車イスユーザーを見かけます。

新幹線ホームにも車イスユーザーが
何人もいますし、視覚障害の方も
何人も見かけました。


地下鉄のエレベーターは日本と同じで
小さめですが、面白いことに
エレベーターに並ぶ「列」が一般と
優先、2列に分かれています。
(エレベーターに向かって左右に)

優先には車イスユーザー、ベビーカーを押した若い親が大行列。

いざ、エレベーターが来ると順に乗り込むのですが、小さなエレベーターに車イスユーザーが乗り込むと、

「あと2人は入れるよ」
「後ろのベビーカー、先に乗りなさい」
「私の車イスは大きいから先に行って」

など、列に並んでいる人があーだこーだと「乗車の最適化」を図るべく勝手に交通整理を始めるのです。

優先レーンに長蛇の列が出来ていると、


「こりゃ、一般の人、いつまでも乗れないよな」

と、私は思ってしまいますが、車イスやベビーカーが乗り込むと少し空きスペースが出来る。

そこにユニバーサルスタジオの
「シングルライダー」みたいに
車イスユーザーが乗り込みを促す。

「あなたたち、先に乗って」

エレベーターが来るたび、
賑やかな議論に私たちも巻き込まれます。

そして、エレベーターの箱がパンパンに
なり、満員御礼になるまで、
いつまででも議論している。

これは、かなり笑える光景です。
我慢弱い日本人には無理かも知れません。

日本では「いいから早く閉めろよ」みたいな
無言の圧力を感じたりします。

とはいえ、スカスカのスペースを
残したまま、エレベーターのドアが閉まるのは、無駄以外の何者でもありません。

実は台北の方が遥かに合理的です。


台北を地下鉄で移動すると、
改めて街中のコミュニケーションは
大事だなと体感します。


・表情が明るい

台北の街を歩いていて思うのは、
街ゆく人の表情が明るいのです。

若い人もお年寄りも、なんか
良い顔して歩いているのです。

私は日本が好きだし、日本人であることに
誇りを持っていますがそれにしても、暗い。

電車の車内はイライラした人か
無表情のスマホユーザー。

街を歩いている人も、無表情。

私は「大都会では、皆が感情を殺さないと成り立たない」と諦めて生活をしていましたが、台北に来ると、それは必ずしも正しくないのだと思うに至りました。


そう言えば、大阪で御堂筋線に乗ると
車内でしゃべっている人が多く、
車内に会話があることに驚いた記憶があります。大阪の人には、無言の行は難しいのだと。大阪には人間味が残っています。


・障害者が自立している(ように見える)

台北の生活にどっぷり入っている
訳ではないので、表面的な感想ですが、
台北では、とにかく車イスユーザーの方を
あちこちで見かけます。

ちょっと外を歩いただけでも、
車イスユーザーが右から左からやって来ます。

地下鉄のエレベーターには、
車イスユーザーが3人、5人と
並ぶ光景など珍しくありません。

そして、皆さん、一人です。
全員ではありませんが、
車イスユーザー(電動車イスが多い)が
一人で街中をかっ飛ばして行く風景は圧巻です。

地下鉄や路線バスを含めて
街がバリアフリー化されているから
出来ることですが、
つくづく、バリアフリーとは
障害がある側の問題ではなく、
社会の側の問題でしかないと感じます。

視覚障害の方も一人で歩き回って
いる方を何人も見かけました。

台湾には、視覚障害の方が電車に乗る際の
サポートシステムがあるので、
駅まで来れば、バトンリレーのように
ストレスなく電車に乗ることが出来ます。


日本は色々な意味で課題が放置されていると
感じる旅でした。

日本人は頭がいいし、礼儀正しいのだけど、あまりに社会の生活ストレスが強くて、思考停止になっているのでしょうね。「もう、何も考えたくない」と。

大丈夫か、東京パラリンピック。

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