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上司はなぜ部下より偉いのか


サラリーマン時代にはヒラ社員しか経験したことがないので、係長、課長、部長の肩書きを持つ人のプレッシャーは、私にはわからない。

社長なる肩書きを持ってから20年が経つが、自分が偉いとか立派だと言う感覚は微塵もなく、実際に偉くもなんともない。

自分が信じる道を、割と自由に自分のリスクで進むだけだ。

At your own risk.

組織が大きくなると、そうもいかない。下の人は何か新しいことを始めたり、予算を獲得する為に稟議書をあげて上司の決済を得なければならない。

稟議書にはセオリーがある。予め上司に根回しをしたり、数字を見栄え良くしたり、上司が決裁しやすいような「作品」にする。

係長は課長に、課長は部長にプレゼンしなければいけなくなるので、重箱のすみを突くような瑣末な指摘をして、一旦、差し戻したりすることで、役職者としての威厳を保つのだ。

サラリーマンの皆さんは、その辺りは心得たもので、上手に微修正を重ねて中間管理職の顔を立てながら稟議書を上へ、上へと上げていく。

日本企業の見事な忖度チームプレーではあるが、急な社会の変化に対応するには無理があるシステムだ。

日本企業は稟議に時間がかかり過ぎる。根回しや会議を重ねている間に無駄に時間ばかりが浪費され、旬を捉えたアクションが起こせない。

それでも、ルーティーン的な稟議書なら、担当者が稟議書を回し始めるスタートを早めることで機会ロスは最小限に食い止められる可能性がある。

ところがやっかいなことに、新しいことを始めたりする場合は、前例がなく証拠も作れないから、稟議書は絵に描いた餅になる。ある意味仕方がないことで、何しろ、「やってみなければわからない」のだ。

ところが年配の役職者は、見たことも聞いたこともない新しいサービスを理解することが出来ない。

「証拠を出せ」「数字に根拠はあるのか」と部下に身もふたもない言葉を浴びせることになる。ひどい上司は「失敗したら誰が責任取るんだ」。いやいや、責任取るのはあなたに決まっているでしょう。上司は成功する為ではなく、責任を取りたくないが為に稟議書に難癖をつけるのだ。

高齢化社会だ、新規事業を考えろ、と言われて、どうしたら良いか判らずに、私の会社に駆け込んで来た大企業は数えきれない。

旅行会社大手は全社来たし、百貨店系、農協系、運輸交通系まで、さまざまな会社がユニバーサルツーリズムや高齢者、介護旅行の話を聞きに来た。

ある時は、ヒラ社員、係長、課長代理、課長とぞろぞろやって来て、数時間のヒアリングの最後に、

「では、持ち帰って検討します。」

おーい、このスーツを着た男4人の中に決裁権者はいないのかー。

私は心の中で叫びました。

社内にはまだ部長、本部長、役員が控えていて、その稟議のハードルはヒマラヤより高そうだ。

この会社は何度か来社して、さんざんヒアリングをしたあげく、役員の最終評価は「時期尚早」。

役員の方は70歳近い。時期尚早とはコントのような失笑ものの回答だと部外者の私には笑いしか残らない。私の時間とノウハウを返せ。

そもそも論だか、組織のヒエラルキーの頂点、または上の方にいる給料の高い方々はなんの為に偉そうな役員椅子に座っているのか。優秀だから?成績が良かったから?上司の覚えめでたいゴマスリや立ち回りが出来たから?

そのどれでもないはずで、上席にいる人間の唯一の存在意義は、

「何かあったときに責任を取る」

それ以上でも、それ以下でもなく、部下がアクションを起こして出た結果に責任を取る。その為だけに机も椅子もデカくなり、給料も高くなっているのだ。

新規事業が最初から上手くいくなら、あなたの会社が始める前に、もう誰かがやっているはずで、誰も手掛けていないなら、失敗の確率だって高いはず。やらせてみて、失敗したら自分が責任を取る。当たり前のことだが、これが出来る上司は決して多くはないだろう。

新しいことを考えろ!と、ハッパをかけて、若い人が何か新しいことを始めようとすると、あれこれ難癖をつけてダメ出しをする。「じゃあ、お前が考えろよ」と、若い社員は心の中で叫んでいるはずだ。社長や管理職が偉そうに踏ん反り返っていないで、どんどんアイディアを出し、どんどん失敗して、社内でいちばん失敗するのが社長。と言う現場を作って置けば、会社内からはアイディアが溢れてくることは間違いない。イチローでも打率は3割。我々素人は打率1割ならトッププレイヤーだと、若い人の背中を押してあげて欲しい。フレッシュな人のアイディアを老害役員や管理職が潰すような会社には未来がないことを、組織の共通認識にしておきたい。

この文章を役員や管理職に読んでもらい、顔色が変わったり、キレたりするようなら、その組織からは出来るだけ早く立ち去ることをお勧めする。

繰り返しになるが、高い給料を貰っている上司が責任を取らない、つまり部下に責任を押し付けるような組織に未来はないことは肝に銘じていて欲しい。


※写真は高野山奥の院の汗かき地蔵

高野山には伝承があり、この汗かき地蔵は世の中すべての人々の罪を一身に背負い、地獄の業火を浴びているから汗をかいているとの言い伝えがある。人の上に立つなら地蔵の心でありたいと、修行の足りない私自身が願う。

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