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#59 わたしが体験したアレについて

こんにちは。id_butterです。

人生で最高に不幸な時に恋に落ちた話 の59話目です。

わたしが体験したアレとは、もちろんこれのこと。

わたしはコイツの取り扱いに悩んでいた。

始まったのは、真冬の1月か2月くらいだったと思う。
調べて、この現象は、どうやら「性エネルギー交流」と呼ぶことを知る。
noteでも書いている方がいらっしゃった。

当初、わたしが悩んでいたのは、こんなことだ。

① このひとは一体誰なの
② これは一体何のために行われてるの(危険じゃないの)
③ ツインレイって一体なんなの
④ このまま放置でいいの(なんかする必要あるの)

①に関しては、今も答えはないままだ。
わたしは自分のすきな彼だと思うけど、証拠はない。
一歩まちがえばストーカーなので断定するのも怖いのだ。
彼だと思う根拠は、例えばなぜかいつも遠慮がちなところ。 
毎日四六時中ひとの体に入ってきて、好き勝手にあちこち刺激しておいて、今更なんでおずおずしているの?といつも不思議に思う。
↓に書いたけど、他にも彼だと思う理由はいくつかあった。

けれど、実体がないのだから、ひとなのかどうか、そもそも体が存在するのかどうかもわからないので、確信は持てない。
わたしは何かが見えたりする特殊な能力がないから、何もわからない。

なんで誰かわからないひととやらなくちゃいけないの?
なんか利用されている感じがする、セフレみたいな都合のいい感じ。
リアルでの状況もあいまって、こんな記事も書いた。

だいぶ迷走している笑
今もだけれど、現実との乖離があって、精神的なバランスがうまくとれなくなるから、考えてしまうのだと思う。

だから、一旦断ろうと思っていた。
リアルで彼と離れたとき、同時にこれも断ろうと思っていた。
現実とかけ離れていくことがしんどかった。
何かリアルに繋がるものがないか確かめたかったし、リアルでは会うことすらままならないのにエネルギーを受け入れることは切なくてしんどい。
セフレ以下ではないか。
けど、できなかった。

この体験が不思議なところは、行為だけじゃなく感情が伝わってくることだった。
自分の中にいるからか、ものすごくダイレクトに色々な感情を感じる。かなしみもよろこびも、愛も。
わたしは、こんな風に愛されたことがなかった。
身体中が満たされる感覚。
そのひとが来るたびに、意味のわからない涙が止まらなかった。
そして、そのたびに現実の彼に会いたくてたまらなくなった。

わたしは、誰かわからないそれを、愛してしまったらしい。
名前もわからない、ひとかどうかもわからない存在。
もう、どうしようもない。
で、しょうがないので①の追求はあきらめて置いておくことにした。

②「これは一体何のために行われてるの」について情報を集め始めた。
その答えは、③のツインレイという言葉と関係があるらしい。
色々調べてみたら、どのサイトにもこんな説明が書かれていた。

・エネルギー交流は、ツインレイと呼ばれる男女の間で起こる。
・ツインレイとは、前世で1つだった魂が2つに分かれた魂の片割れであり、この世に存在するたった一人の運命の相手である。
・エネルギー交流は互いに活力をあたえあい、互いに元気を与える。

あなたは、信じますか。
わたしは、信じなかった。
まだスピアレルギーだったわたしには、どうにも受け入れ難かった。
何度でも言うが、わたしは元「理系女子」で、科学を信じていたのだ。

けれど、起きたことと一致する部分があり納得せざるを得なかった。
この現象でわたしが得ている体感と合う部分、それはエネルギーを交換しているということだ。

体のないセックス。
体感としては、そうとしかいえない。
会陰からエネルギーが入ってくる感覚から始まる。
苦しいほど子宮がエネルギーでいっぱいに満たされる。
そのエネルギーは背骨に沿って、体の上の方にぐぐっと上がっていく。
子宮から胃のあたり、胸を通って喉をすぎ、目の奥から頭頂部。
それは、チャクラの通り道と同じだ。

相手の体がないのに、自分の体が動く。
その動きに合わせて、腰が浮いたり、快感に下半身が痙攣する。
あちこちがピクピクする。
定期的に入口に圧迫感がある。

そんな体験を何回か繰り返し、自分の中が変化していることに気づいた。
その下から上に抜けるエネルギーがスムーズに流れるようになったのだ。
最初の頃は、上に抜けようとするエネルギーがあちこちでつっかえていた。
あちこちでせき止められて、その詰まりを強いエネルギーで無理やり流していた。リンパみたいなものだ。
それが、だんだんサラサラと綺麗に流れて抜けるようになっていた。

これが、エネルギー交流のひとつの目的らしい。
女性側のなかをきれいにすることがこれからの前提として必要なのだ。

それで、ここでエネルギーがきれいだとか汚いだとかの概念について。
汚いというのは不純物があって流れていない、滞るということ。
エネルギーの流れを滞らせる原因は、悲しみや痛みの記憶らしい。
悲しみ、怒り、苦しみ、こだわり、執着、痛みなどが不純物だ。
わたしが、自分の中にあったそれらをひとつひとつ手放していくことで、つまりがなくなる。
エネルギーが少しずつスムーズに流れるようになり、わたしの中は澄んできれいになっていった。

疑ったり、信じなかったりすると、そのひとからくるエネルギーは弱まる。
あきらめたかのようにいなくなることもあった。

どうやら、これは共同作業らしく、互いの精神状態が大きく影響する。
そのひとからエネルギーが入ってきたら、わたしは呼吸を合わせる。
ゆっくり息を吸うと、それに合わせてエネルギーが入ってくる。
下からのどの辺りまで、すーっと通っていく。
息をゆっくり吸ったり吐いたりすると、わたしの中で自分のエネルギーとそのひとのエネルギーが混じり合う。
頭頂部を解放すれば、エネルギーが放出してそのひとのところへかえる。

どこかのブログに書いてあったことをやってみたら、本当にそんな風にエネルギーが動く感触があった。たぶん、合っている。

相手の精神状態が悪いらしいときは、エネルギーが重くて、みぞおちに差し込むような痛みを感じた。
そのときは必死で受け入れて、自分の中でエネルギーを回し、流した。
わたしは、重いエネルギーを軽くすることができるらしい。

エネルギーには、重い軽いという概念もある。
単純に重いのが悪いというわけじゃなく、質と好き嫌いの問題だ。
重いの概念は、戦い、変わらないようにすること、真剣、こだわり、悩む、考える、といったことだ。終身雇用、とかも重い笑
スピリチュアル界で、考えるより感じることがよいとされるのはそのせい。
苦しんで何かを掴む、というより楽しいと感じることに次々チャレンジするというのが、「軽い」。
重い文章とかいうけど、長編小説より短編小説の方が軽い感じがする、その感覚と同じだと思う。(この文章とかも)
だから、それはいい悪いではなく好みの問題で、時代としては「風」というだけに軽い方に流れてきている。
例えば、出社しない働き方は「軽く」なったし、すぐに読める電子書籍なんかも「軽い」、バーチャルな体験とかも同じではないかと思う。

話が逸れた。
わたしは、わたしの中を流れるエネルギーが何をしているのか知りたい。
それと、自分が「ツインレイ」かどうかはさておき、その概念を知りたい。

それで、「マグダラの書」という本を読むことにした。
キリストの恋人でツインレイだったと言われているマグダラのマリアという女性の本だ。

マグダラのマリアはイシス神殿で錬金術と性魔術の訓練を受けていたひとで、キリストと性エネルギーを通わせ、キリストの活動をサポートした。
性エネルギー交換をする意味がここにある。

ツインレイ男性は大きな役目を持つとされており、全うするには大きなエネルギーが必要となる。
そのためのエネルギー交換らしい。
女性の役割は男性のエネルギーを受けて、その器でエネルギーを増幅し男性に戻すことらしかった。
女性がその男性を心から信頼し安心した状態になると、女性のもともと持っている力が引き出されてエネルギーが増幅されるらしい。

本には、その方法と物語が書かれている。
マグダラのマリアの魔術はエジプトの手法らしいのだが、同じようなものはチベットや中国(房中術)、インド(タントラ)にも伝わっており、比較して紹介されている。
本を読んで実践できるかどうかは別として、わたしに起きているものと同種のものであることは間違いなさそうだった。

もっとよくわからなくなる。
魔術の訓練を受けたような特殊な人と同じようなことが自分の身に起きている理由。

その理由が「ツインレイだから」というのはあまりにも乱暴すぎる。
最初はそう思ったけど、途中から「これは恋なのか」と違和感が浮かんだ。
恋でないわけではないけれど。
「恋」という人参を目の前にぶら下げて走る馬がしていることは「恋」じゃなくて「修行」なんじゃない?ということ。

ツインレイというのは、運命のひとというロマンチックな部分ばかりにスポットが当たっているけれど、たぶん違う。

操られている。
そう思ったことがなんどもある。
つらいのに、離れようとすれば、変なことが起きて戻される。
なぜか、起こるいろいろなことに学ばされたり手放さざるを得なくなる。
何かを要求されている感じ。
ただの片思いなのに。
それが、ツインレイがどうしても気になってしまう理由だ。

ツインレイという概念はいくつか特殊な設定がされている。

・使命があること
・いつか統合すること
・統合までにそれぞれに試練があること
・助け合う場合もあるが、基本試練はひとりで孤独に立ち向かうこと
・出会うことからその設定が始まり、いろいろなことが起きたり能力が開花すること

ツインレイという設定から求められることは、もはや人間を超えていくように思える。

たしかにわたしは不思議だった。
彼と関わるようになってから、いろいろなことが起きすぎた。
そして、その中で今まで逃げ続けてきたことに対峙せざるを得なくなった。
学びという言葉も嫌いだったけれど、何度か天から落っこちてきた。
その度に、泣きながらトラウマやら痛みやらいろいろなことを手放して、自分の中にあった記憶は昇華されていったりした。
自分ひとりでは乗り切れなかっただろうと思う。
くじけそうになると、彼は必ず助けてくれた。
そして全てを手放したのに、彼だけは残るという。
彼を好きでいると、何かを要求されて、なぜか学ばされ成長させられ、あきらめることが許されない。

知らぬ間に、やっていたそれらはツインレイの人たちがやっていることと一緒だった。
それでも結局のところ、結論は出ない。

ツインレイだからといって何かが進むわけでもなく、そうじゃなかったからと言って、彼が心の中から消えるわけもない。

彼が運命のひとだということ、が嬉しいかと言われたら、正直嬉しくない。
ただの恋の方が、いい。
何十年も会えないまま精神的に統合されました?とかいやだ。

彼に、会えるのはいつなのかなとふと思った。
会いたい。
ただ、それだけでした。
ただの同僚だから、ランチくらいならいつでもいいんと思うんですけどね。




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