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線を引っ掻くことと歴史

前回の記事よりだいぶ間が開いた。
文章を書いていなかったわけではないが、宛先のあるものばかりだったのでもっと自由に連想しながらnoteを残したい。

いまノートPCのキーボードを打ち込んで書いているが、自宅にいると大抵このnoteを書こうとする前に、他の誘惑に負けてしまう。個人的にはキーボードの打鍵感から来る気持ちよさは五感を刺激する素材の解像度に欠け、受動性の快楽に劣る。手っ取り早くメモを残すのに紙のノートと鉛筆を多用するが、これが気持ちいい。

ノートには罫線が何もないものがいい。鉛筆の芯はHB以上がいい。
文字とは線であり、それを書くというのは紙の上にもどらない凹みを作りつつ、黒鉛を残すことだ。
日本語では「書く」も「描く」も「掻く」も、もともと同じ「かく」。
「線刻」、というくらいだ。人類は遥か昔から岩石や洞窟に線を刻みつけてきた。

人間はもともと文字を持っていたわけじゃない。
線を残しているうちに絵を描くようになり、同じ絵(図)を同じ記号として受け入れ、文字と見なすようになった。そういう順序だ。

文字があらわれると、情報が蓄積する。それを歴史という。「史」とは文字で書かれたもののことで、「歴」はそれらの遺物が経てきた時間や履歴のこと。日本列島では木簡や墨書土器、外交文書の登場が古代の歴史のはじまりとされ、それ以前は先史時代と呼ばれる。

でも、文字の登場以前から人はさまざまな道具を作ってきたし、そうした時代の方が遥かに長い。7万年前頃アフリカを出発したホモサピエンスがユーラシア大陸の東の果てから列島へ渡ってきたのが、およそ4万年近く前。当時の人たちが残した遺物(丸木舟を作るのに使ったであろう石斧などの石器とか)が痕跡として残っている。それらを扱うのが考古学だ。

刻まれた時間をそのまま「こく」と呼ぶ。
江戸時代までの不定時法では、一昼夜が十二分割され干支の名を当てられた。

それでは刻みつけられた痕としての「線」を見出す能力はどこからやって来たのか?

理論認知科学者のマーク・チャンギージーによれば、それは景色の線だという。
なんでも、文字素を線の分岐にまで分解すると、世界中の文字と風景に見出される線は、その分岐パターンにおいて相関するらしいのだ。

文字を読むときに働く脳の箇所と、位置を測ろうと景色を見渡すときに働く脳の箇所は同じ、ということも脳科学では言われているそうだ。
なぜ「地図を読む」というのかが腑に落ちる。地図は景色を天からの視点に置き換えた線でできている。
また文章を読むことと、景色を見渡そうとする行為は半ばトレードオフの関係にあり、本を読みながら探検することはできない。
車や自転車を運転しながら小説は読めないし、おそらく徒歩でもはじめて歩く道で迷わないよう気をつけながら、その場に関係のない本(観光ガイド等は別)を読むことはできない。

文字を読んだりすることは、道を探し景色に痕跡(サイン)を見出そうする行為の延長線上にある。ただし、当然ながら無文字社会があるように、文字の登場は新しい。その登場までに、声で話される言葉の発達が欠かせない。おそらく道を見出す力は言葉を話すより前に人類に備わっていたことだろうが、言葉を話すようになってはじめて、当人らが話している場とは別舞台の位置情報の伝達が試みられるようになったことだろう。

この本の中でもうひとつ重要なのが、目が収まっている顔というものへの指向性だ。人類の顔は、表情がはっきりと分かるよう毛が生えなくなり、色のコントラストが出るよう白目が際立つ。人類の顔への関心は異常といってもいい。
たとえば、へのへのもへじですら顔に見えてしまうし、三角の頂点だけが三つあったとしても角度によって顔に見える。
また、チンパンジーと人間の幼児に、どの位置に目があり、鼻があり、口があるか、絵図を並べさせる実験をするとその差は歴然だという。

ランダムな情報の短期記憶では人間の子供に勝るチンパンジーが、この実験では正確な顔を再現することができない。

岩石に絵を描く旧石器人。表情を点と線だけで再現できる人間の象徴機能は、顔に吸い込まれる人類の癖とも言っていい進化の道のりと、景色から道を見出そうとする力をゆりかごにしている。

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