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承認欲求はいらない! 「嫌われる勇気」のアドラーに学ぶ処世術

記事を開いていただきありがとうございます。

初めましての方がほとんどだと思われますので自己紹介をさせていただきますと、IT系のエンジニアをやめてフリーのライター兼エンジニアをやっているべナオと申します。

普段は依頼されて記事を書いたり、PythonやJavascriptで色々作ってます。

突然ですが最近、承認欲求という言葉をよく目にする方は多いのではないでしょうか?

ここ数年ほどで急速に広まった言葉だと記憶しています。

言葉自体は、マズローの五段階欲求説で最初に取り上げられたものでしょう。

それによると、承認の欲求は、動物的な欲求を全て満たした後に呼び起こされる高次の欲求であるとしています。

Google検索で、承認欲求という単語でどれくらい検索されているのかを見てみましょう。

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これはキーワードプランナーで、承認欲求が含まれたキーワードで検索された頻度(月間平均検索数)を表示したものです。

1万〜10万で他にどのようなキーワードがあるかというと、例えば「プログラミング」×「言語」で確かめてみると同じくらいの検索数になります。多くの人の関心を集めていることがわかるでしょう。

それくらい多くの方が、気にしているということですね。

そしてネットや日常会話で普遍的に使われるようになった要因は、SNSの普及が大きいと個人的には感じています。

なぜなら、例えばTwitterではいいねやRTを多くされる人が影響力を持ち、多くの人の注目を集めます。それだけこの人の発信する情報には、価値があるのだという見方をされます。

それは他のSNSでも同様でしょう。

いいねやRTというのはまさしく、他者からの承認そのものです。この人の言葉に共感できる、この人の意見を他の人にも広めたい。そんな承認を多く集める人が力を持つ時代になりました。

そんなSNS社会では、皆が承認欲求の奴隷となって動くことを強いられています。少なくとも僕にはそう見えます。

でもぶっちゃけそれって辛いと思いません?

音楽でも小説でも映画でもなんでもいいですが、自分の好きなことをしてるよーとツイートしたらマニアックすぎて全然いいねがつかないとか。別にそれするまでは良い気分だったのに、なぜか世界中の人から無視されている気分になって、楽しい気分が台無しじゃないですか。

「承認欲求で生きるのはやばいぞ」と昔から言っていた人が実はいました。今ではみなさん恐らくご存知でしょう、「嫌われる勇気」で有名なアルフレッド・アドラーです。

彼は精神科医であり、心理学者でもあります。フロイト、ユングに並んで心理学の三大巨頭と呼ばれています。

僕は対人コミュニケーションがとにかく苦手でした。新卒で入った職場で同僚や上司とうまく付き合えず、辛い時期がありました。

相手がどんな人間でも、誠実であろうと、不誠実であろうと、真面目であろうと不真面目であろうと、自分に興味があろうとなかろうと、平等に当たり障りなく接していました。

そのせいか、特別仲良くなれる友人ができることがありませんでした。

そんな時に出会ったのが「嫌われる勇気」でした。

それは藁をもすがる思いで手に取った本でしたが、その後の人生で何度も僕を助けてくれました。

本一冊分の内容を書くと長くなりすぎてしまうので、今回の記事では承認欲求に絞ってつらつらと書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

1. あなたは他者の人生を生きていないだろうか

「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります」

アドラー心理学では承認欲求に従って生きることを、他者の人生を生きることと表現します。

人生とは自分の望みを叶えるためのもの。他者の望みを叶えるために生きているのならば、それは他者の人生を生きることと同じです。

同様の表現をしたことのある偉大な人物が1人います。スティーブ・ジョブズです。

彼のスタンフォード大学でのスピーチの一節です。

「あなたの人生の時間は限られています。無駄に他人の人生を生きないこと」

彼は他人の欲求を満たすために生きるのではなく、その時間を使って自分のすべき仕事をしなければならないと説いています。

他者の承認を満たすことは、その時は一時的な気持ち良さがあるのかもしれません。自分が善人である、と思うこともできるでしょう。

しかし、それが他者の人生を生きることになっていないかどうかは、きちんと考えるべきでしょう。

SNSでは他者の承認をとにかく集めたい、という人が多くいます。SNS自体が、そのようなビジネスモデルだからです。

ですから、多くの人がそのように動くこと自体は仕方がないのかもしれません。しかしだからと言って、それはあなたまでもが承認に囚われて、自分の好きなことを思うままにできなくなってしまう理由にはなりません。

いいねが0でも好きなことをし続ける勇気を持ってみましょう。

そのほうがきっと楽です。

2. 幸福な人生は承認ではなく自己満足によって得られる

「他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である」

アドラーは人が幸福を感じる唯一の行為は他者貢献である、と言っています。自分以外の誰か、もしくは社会に貢献したという自己満足だけが、人に幸福を感じさせるというのです。

そしてそれは他者からの承認を集めようとしてするものではなく、自分自身が考えて、自分の行動が社会にとってプラスになるはずだと信じてさえいれば良い、という意味だと僕は解釈しています。

いいねやRTを集める行為自体には、他者の幸福に貢献する要素は無いように見えます。

そして承認欲求に囚われている限りは、自分の人生の時間を限りなく承認集めに使うことになります。

いいねやRTを集めるために挑発的な文章を考えている間に、自分の幸福を探すための時間が奪われていってしまうのです。

3. 課題の分離によって承認欲求を終わらせる

アドラー心理学では人が承認欲求に囚われずに自分の人生を生きるために、課題の分離という考え方が重要だと言われています。

例えば就活をしている大学生がいるとしましょう。彼は自分が夢見ていた漫画家を目指してアシスタントから修行するか、無難にIT企業に就職するかを悩んでいます。

彼が両親にそのことを相談したところ、2人は漫画家の道には猛反対します。

好きなことをして食べていける人間なんて一握りだと。

一度失敗したら次のチャンスは無いぞと。

私たちはあなたのためを思って言っているのだと。

そんなことを言われてしまいます。

しかしここで整理してみましょう。この進路の選択という課題は、一体誰のものなのでしょうか?

それを確かめる方法は簡単です。その選択をした結果、その最終的な責任を誰が負うのか、それが成功したら誰が幸福になり、それが失敗したら誰が不幸になるのか。それを考えれば良いだけです。

無論、その選択は大学生の課題以外の何物でもありません。

両親の忠告に従ったとしても、その責任を最終的に負うのは彼自身なのです。

今の時代、どんなに安定して見える企業でも日本の景気自体が右肩下がりなので決して安心はできません。

それなのに自分の本当に好きなことを無かった事にして、無難な人生で妥協する。これはまさに他者の人生を生きる事です。

もちろん彼が漫画家を目指す人生を送ったとしても、彼が自分の人生に責任を持つ事には変わりありません。

しかしそれは、彼が彼自身の人生を生きる事です。

彼が両親の忠告に従ってIT系に入り、もしその会社でうまくいかなかったり、その会社が倒産したりしたらどうでしょう?

彼はきっと、両親を恨む事になると思います。

それは彼が自分の人生を生きていないからです。

多くの人が他者の人生を生きる理由はそこにあります。

自分がした選択の責任を全て引き受けるのは、確かに恐ろしい事です。

ですから、人はついつい他者の言葉に自分の行動を預けてしまいます。

それで失敗したとしても、自分を責めなくても良いからです。

「あの人のいう通りにしたのに失敗した! あの人が悪い!」

しかし自分の考えで行動していれば、例え失敗したとしてもそこから自分に足りないものを見極めることはできます。

それこそが成長です。

自分の責任で、自分の考えで行動してさえいれば、どんな失敗からも次のチャンスにつながる情報が得られます。

どんな時でも、自分の考えで全て選んできたという自信が生まれます。

皆さんはどちらを選ぶでしょうか?

僕が今回伝えたいのはそういうことです。

アドラー心理学は他にも、より挑戦的で実践的な考え方が多くありますので、この記事の反響次第でいずれまたご紹介できればなと考えています。

この記事を読んで自分の人生を生きたくなった方は、ぜひ以下の記事も参考にしてみてください!

それではここまで読んでいただきありがとうございます!

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